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どんな学生だったんですか?

僕の経歴を少しお話します。検索できる経歴はだいたいキラキラしたものしか書かないので、そこに埋まっているリアルな部分はあんまり世に出ておらず、酔ったときとか、「就職、決まってないんですけどどうしたらいいですか」という相談が来たときに話すようにしています。

いわゆる大学デビュー

僕は大学生のときは、それはそれは生意気な学生でした。京都の田舎から出てきて1年浪人して鬱憤(うっぷん)が溜まりに溜まった大学デビューです。坊主にピアスを3つほどつけたどっからどう見ても痛々しいヤンキーです。

痛い学生

とにかく先生の話は聞かない、友達というかライバルには毒舌、難しい本を読ん(だ気になって)で難しい説明をして誰にも伝わらずご満悦という、かなり(それはもうかなり)痛い学生でした。だからというわけではないのですが、就職活動はしていませんでした。全く根拠なく自分でやっていける!と思っていたし、みんなと同じことをすることが嫌だったんです。

建築家との出会い

建築の勉強は3回生になった頃から始めました(おそい!)。当時、教授になられたばかりの建築家の竹原義二先生に衝撃を受けたのがきっかけです。自分の職業をあんなに楽しそうに話す、自分の親くらいの歳の人に会ったことがなかったので「どうしてそんなに楽しそうなんですか?」と直接聞いたくらいです(こういうところも痛い)。

追えども追えども

竹原先生に「…お前おもろいヤツやな(笑)」と声をかけてもらって建築の現場を見せてもらったりしてました。それに頑張って読んだ本を自慢したくて先生に話すと「それは○○だから△△のあたりの時代をおさえとかないとあかんよ」と、ことごとく内容を把握されているとかだったり、先生の設計した住宅を見せてもらって「どうや、ええやろ」と言われて返す言葉がなかったり。。

なんとかこの人を驚かしてやろうと勉強しました。しかしやってもやっても、というかやればやるほど先生との距離が離れていくような気がして、その頃に建築家という存在に憧れるようになりました。と同時に建築にのめり込んで行きました。

そして進学

結局、就活もしないまま4回生の7月になり、先生に拾ってもらうかたち(もちろん試験勉強はしました)で学内の大学院に進学しました。

大学院に入ってからも授業に対する態度は変わりませんでした、というかもっとひどくなりました(笑)。学校にほとんど行かずに、呑み友達に「できる?」と頼まれたバーを設計&施工を、やったことがないけど「できるできる!」と二つ返事をして仕事を受け、ミナミで現場に通ってました

完成すると、竹原先生に見てもらうためにゼミで発表してバーに来てもらいました。そんなことを繰り返して、結局大学院のうちにバーを5つ手掛けました。僕は何しに大学院に行ってたんでしょう(笑)

何もしない日々

大学院を出ると同時に、友達と3人で改修をした長屋に住みました。僕は就職せず、改修のお仕事をいくつかいただいて、でもそれだけでは到底食べていけないのでバイトを(しっかり)しながら生活していました。親にしてみれば、大学院まで行かせたのになんでフリーターになってんの?と思ったに違いありません。僕は、まだ鼻息荒く気持ちだけは建築家として、ほとんど何もしない日々を過ごしていました。つづく、、(つづくのかよ)

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