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自由在不自由中

せっかくの休みだから出かけたかったんだけど、思いの外雨が強いので様子見中。
様子を見ながら久しぶりにnoteを更新します。

もっとお休みが増えたら良いのに!
もっと給与が増えたら良いのに!
もっと遊べたら良いのに!
もっと自由にできたら良いのに!!

こういうことをしょっちゅう考えています。
自由を求める強い気持ちと沢山の方々の力によって世界は以前に比べて人間は様々な面で自由を手に入れていきました。

しかし本当に何でもかんでも自由になってしまったら、本当に人間は幸せなのでしょうか?
ルールや制約といった不自由は誰がどのように決めたのでしょうか?
なんてことをちょっと前に読んだ本の中で丁寧に解説してくれていたんでした。

人間は自由を追い求める生き物だと思います。
それは素晴らしいことだし、ゆっくりと成果が積み上がっている。
現に僕が今この仕事をしているのも職業の世襲制という制約が薄れたことによるものかもしれない。
(祖父たちの跡を継いで豆腐屋として働いていたであろう自分を時々想像してみることはあるんだけどw)


しかし、何でもかんでも自由に出来たらどうなるんだろう?
本当に幸せなのかな?

思い起こせば学生時代の夏休み。
お金の自由は無かったけど、時間は無限と思えるほどにあった。
何時に起きても良い。
何時に寝ても良い。
(夏休みの宿題はあったけど)勉強は強制されない。
好きなことを好きなだけ出来る。

そうなるとどうだっただろう?
1週間もしないうちに飽きてきちゃったんですよね。

友達の家に遊びに行ったり、街中をぶらぶらしたり、好きな本を読んだり、ゲームをしていても、その瞬間はなんとなく楽しいけど、なんだか飽きてきちゃう。

あれだけ面倒くさいと思っていた、学校へ行き、勉強して、部活して、友達と一緒に帰る。
休みは好きだけど、いつもの日常に早く戻りたいなとも思ってしまう。

夏休み前は「早く休みにならないかなー」なんて考えていたのにね。

ちょっと前に「マインクラフト」というゲームをした。

一応ボスらしきキャラクターがいるけど、何をするのも自由。
設定をいじると敵も出てこなくなる。
自由に過ごせて何でも出来るのがこのゲームの最大の魅力なんだろう。
自由に家を建てたり、自由に世界を探索したり、自由に色んな物を作り上げたり。
確かに面白いとは思うんだけど、やっぱりあんまりハマれなかった。
さっきも書いた夏休みと同じ現象だったのかな。


最近は「ゼルダの伝説」を始めた。

オープンワールドのゲームで、何処に行くのも何をするのも自由。
想像力があれば、ゲームの中で様々な物を作って遊ぶことが出来る。
一見するとマインクラフトとかなり似ているなと思ったんだけど、ゼルダにはストーリーがあり、倒すべき敵やクリアするべき問題がいくつも散りばめられている。
こりゃ評判通り面白いなとハマっているんだけど、倒さないといけない敵、解決するべき問題、これらも制約であり不自由なんだろうな。

なんでも良いですよ。
お好きにどうぞ。
お任せします。
気軽なようで、かえって困る。
一体何からはじめたらいいのだろう?

これをしてください。
ここは守ってください。
それは出来ません。
苦しいようで、行うべきことが明確になる。
とりあえずこれから取り組んでみよう。

例えば学会発表で、
規定の文字数は〇〇です。
各項目は〇〇にしてください。
抄録提出の期限は〇〇です。
こういう制約があるからこそ、その制約の中で最大限の努力が出来る。

例えば臨床で、
〇〇という障害があります。
〇〇という作業が出来なくて困っています。
予後予測は〇〇です。
文献では〇〇と言われています。
理論では〇〇といった介入がすすめられています。
こういった制約があるからこそ、毎回思い悩みながら最大限の成果を出そうともがく。

人間は気ままな生き物なのかもしれませんね。
不自由の中で自由を求めて努力し、自由の中で不自由を自らに設定する。

大昔に比べると人間はどんどん自由になってきました。
作業的公正とかの視点で見ると本当に素晴らしいことだとは思うんだけど、どんどん自由になっていったら人間はどうなっていくんだろうね?

本当の自由は原理的に困難なんだったっけ?
するとまた振り出しに戻っちゃうなw
哲学書は読めば読むほど面白いねって話でしたw

不自由な時間の中にある束の間の自由を楽しんで、心楽しく暮らしていきたいですね。

さて、まだ雨が止まないから、家の中で出来る自由を探してみようかな。

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