日本人によるパンチョ・ビリャ暗殺計画?

(試験的に前に書いた文章を公開)

1911年、独裁者であったポルフィリオ・ディアス大統領への反抗として始まった「メキシコ革命」は、国家を二分する内乱として10年以上も続いた。 

反ディアスの象徴で後に大統領となるフランシスコ・マデーロの呼びかけに、さまざまなメキシコ人革命家、農民出身の革命家エミリアーノ・サパタ、中流家庭出身ながら法律と経済を学んだインテリのベヌスティアーノ・カランサ、老獪な地方政治家であったアルバロ・オブレゴンなどが反乱の烽火を上げた。 

しかし、日本で一番有名なのは、盗賊から革命家に転進したパンチョ・ビリャだろう。 

本名ホセ・ドロテオ・アランゴ・アランブラこと、パンチョ・ビリャ。 

映画ではテリー・サバラスやウォーレス・ビアリー、最近ではアントニオ・バンデラスなどの俳優が英雄・パンチョ・ビリャを演じており、今でもメキシコ人屈指の人気を誇る革命家。 

インディオ系の小作人の息子であったビリャは、農園主と対立し実家を飛び出すと山賊グループに加わり、警官隊との銃撃でリーダーが殺されると、その後釜に座る。反ディアスの気運が高まるとマデーロ派に参加し、革命側の立役者にまでなる。 

そんな革命の最中である1915年頃、メキシコ・シティーの日本人移民社会の間でこんな噂が流れた。 

「ビリャを日本人が暗殺しようとしたため、革命側が日本人を見つけると撃ち殺される」 

「日本人コックがビリャを毒殺しようとして、失敗した」 

当時、メキシコには多数の日本人移民がおり、政府側にも革命側にも日本人移民が参加していた。日本は東洋の軍事国家と認識されており、中にはメキシコ軍の正規軍人となった者もいたほどである。 

しかし、大部分の日本人移民にとって、この血みどろの革命は歓迎すべきことではなく、息を潜めて暮らす者も多かった。もし「ビリャ暗殺を日本人が企てた」という噂が真実なら、ただでさえ外国人排斥を唱える革命側が、日本人移民排斥や殺害の口実になりかねない。 

噂は本当だったのだろうか? 

実は、このメキシコ革命に人一番神経を尖らせていたのは、隣国アメリカ合衆国であった。 

ウィルソン大統領はサパタやビリャのような極端な革命家を警戒しており、1915年にはメキシコ人バシリオ・ラモス・ジュニアが所持していた「サンディエゴ計画」(Plan de San Diego)なる文書が見つかるが、これにはメキシコ軍が米墨戦争で失った領土を奪い返そうとしているという内容であったために、南部アメリカ人たちはメキシコ軍侵攻が近いという流言飛語が飛び交い、パニックにおちいるという事件も起こっている。 

事実、この時期にはメキシコとアメリカの間で小競り合いが多発しており、翌年にはパンチョ・ビリャの部隊がアメリカ人を殺害をきっかけに、パーシング将軍率いるアメリカ軍が本格的なビリャ討伐遠征を始まることになる。

つまり、メキシコとアメリカ合衆国は一触即発の状態だったのだ。 

当時のアメリカにはCIAのような対外情報機関はなく、軍情報部とシークレット・サービス、税関などがバラバラに情報収集を行っていた。 

しかし、テオドア・ルーズベルト政権で海軍長官や司法長官を歴任し、ナポレオン・ボナパルトの甥っ子にあたる有力政治家チャールズ・ジョセフ・ボナパルトが、1908年司法省に特別な部署を設置したため、この部局がメキシコ内部及び周辺に強力な情報網を構築し始めていく。 

その部署の名前は、BOI(Bureau of Investigation)。 

日本語では捜査局とでも訳すべきだろう。 

そして、この部署こそが、後にFBI(連邦捜査局) という巨大組織へと発展していくことになる。 

BOIは特別捜査官(スペシャル・エージェント)という制度を導入したが、その特別捜査官の中にE・B・ストーンという男がいた。彼はエル・パソ支局を中心に活動しており、ビリャの兄弟であるヒポリトと親しい男たちを情報源としていた。 

その中に、二人の日本人情報提供者がいたらしい。 

ストーンは、メキシコとアメリカの関係が悪化すると、この二人の日本人にパンチョ・ビリャ誘拐もしくは暗殺を依頼、企ては失敗したものの、この日本人は何らかの行動を起こしたようである。 

詳細は不明。 

ちなみに、暗殺やアメリカ軍追撃を交わし続けたパンチョ・ビリャは、革命後、故郷のチワワ州で家族と共に静かな生活を送っていた。 

人一倍用心深く、危機を何度も潜り抜けたビリャだったが、1923年7月20日友人の子供の名付け親をするために出かけた帰りに銃弾を浴び暗殺される。 

犯人は不明、反政府勢力がビリャを掲げて台頭するのを恐れた軍の犯行という説もある。 

この文章は、メキシコ革命当時の日本人移民手記、アメリカの歴史学者の研究など、いくつかの資料から「日本人によるパンチョ・ビリャ暗殺計画があった」という可能性を示唆する部分を、軽くまとめたものである。 

個人的な研究の覚書みたいなもの。 

この暗殺は本当にあったのか、あったとすれば詳細はどうだったのか、その辺を調査してみようとは思っている。 

しかし、これって冒険小説に題材としては最適じゃないだろうか? 

メキシコ革命の最中、アメリカからパンチョ・ビリャ暗殺を依頼された日本人移民! 

革命側はこの暗殺計画を事前に察知し、姿の見えない日本人暗殺犯を狩り出すために同じ日本人を雇うことに・・・・・。 

こういう感じのストーリーなら面白そうだけど。 

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