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思考する獣 | エッセイ集

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仕事をしながら、暮らしをしながら、ふと獣のように湧き出る思考を書き留める実験のようなエッセイです。すこぶる元気な時より、すこしもの暗く静かな時のお供にどうぞ(*月1〜2本目安で更… もっと読む
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2022年1月の記事一覧

引出物の変化から、現代における贈与の歪さを考える。

「引出物なんですが、ご希望はありますか?」 目の前のプランナーさんはキラキラと高揚した目で、わたしと、わたしの横に座る相方の顔を見ながら言葉を放った。格式ある煌びやかな建物の一室で、目の前には小綺麗な冊子が何冊も開かれている。そこには色とりどりのお皿や、豪華な食べ物や、オリジナル!と大きくアイキャッチのついた品々が並んでいた。 自分自身の顔というものは鏡を通してしか見ることができないので、これはわたしの想像でしかないのだが、おそらくはポカンとまあ間抜けな顔をしていたように

人生における「緊急脱出」という選択。

「あれはさ、きっと緊急脱出だったんだんだよね。」 新宿の小洒落たカフェで、正面に座る彼女から言葉が溢れでた。4年前に別れた時と変わらない凛とした雰囲気を纏いつつも、どこか当時にはなかった緩みをまとった雰囲気はまるで「別人」に近い印象を与えた。 そして突然に降って湧いたそのフレーズは、私の脳裏に直接語りかけるようなインパクトがあった。不意をつかれたものだから、私はおそらく腑抜けた顔をしていたように思う。それでも頭の中にするりと入り込んできたそのフレーズに、私はもう釘付けにな

表と裏の「感覚」を掘り起こすということ。

バシャり。 皮膚にかけた水はまだお湯になりきっておらず、彼らは私の体温だけを連れて足早に私の顔から滑り落ち、そのまま洗面所の物暗い穴へと吸い込まれていった。 顔を上げて洗面所の鏡を覗き込めば、もうとっくに見飽きたいつもの顔がだらしない表情でこちらを覗いている。まとまりのない乾燥気味の髪は鎖骨付近で無造作に四方に向かい、ところどころ皮むけた唇が目についた。 「おはよう」 口から漏れ出したぬめりけのある言葉は、音も立てず洗面器に落ちて私の温度と一緒に下水管へと流れていった

表現における「母国語」を探して。

私は、幼い頃から創ることが好きだった。 幼稚園では人の何倍もの冊数のスケッチブックを描き潰し、小学校に入れば美術の時間と夏休みのポスターに全力を注ぎ、家にある段ボールやドングリで黙々と工作をした。めちゃくちゃなようで、それは結果的に美大進学へ通じる最初の脚掛けでもあったように思う。 たぶん今思うと、わたしは私の感情を、感覚を、どうにか正確に形にしたくて「表現」というものにずっと悩み続けてきたように思う。どうすればズレなく、抜け目なく、腹の底でうねり上げる希望や、孤独や、そ

それ以上でも、それ以下でもないではないか。

「スワンさんって、なんか落ち着いてますよね」 テーブル越しの相手からひょんな言葉が出た。私はふうんと、側からはそんなもんに見えるんですねと。あまり腑に落ちない顔をしてから、苦笑いして冷めかけのコーヒーに手をつけた。 幼少期、どちらかといえば私は「落ち着きのない子」として認識されていたはずであった。興味の赴くままひとりで遊ぶことを好み、気がつくと時間を忘れ、出かければいつの間にか知らない場所にいることもしょっちゅうだった。持ち物はまあよく無くしたし、デパートの迷子放送には散

趣味や創作における「後ろめたさ」を取り除くこと。

「こんなこと、やってて良いのかな。」 創作活動を続けていると、ふとこんな怖い言葉が脳裏をよぎる。文章を書いているとき、カメラのシャッターを切るとき、動画を撮っているとき、マイクに向かって喋るとき。繰り返し、繰り返しで頭の中に反響する。 同時に生ぬるく湿った大きな手が、ぬっと肩にかけられるのを感じる。嫌だ、やめてくれ、忘れていたのにと思いながら、私は耳を塞ごうとする。声の主は頭の中にいるのだから、直耳を塞いだところで交わしようがないのだけれど。そして耳元でこういうのだ。

何もしない贅沢、ごろ寝旅のススメ

旅行しようよ、ちょっと遠くまで。 ヘラヘラと乾いた笑い声で、誰かが言う。それにわたしも同じくらいの軽い声で「いいね」と笑って返す。 旅はいい。学生の頃はお金もないのにすぐ海外に行こうなんて躍起になったが、最近はそんな大それたものではなくて良く、むしろぱっと出向ける箱根や少し寂れた温泉街、やまの麓なんかがお気に入りだ。 そして不思議なことに、別の県に出るだけでものすごく肩の荷が降りたような気がする。 これが近所だとなかなかそうはいかないのが、難しくもあり面白いところだと

燃え尽きない、という抱負。

「今年こそ、やります!」 タイムラインに、勢いよく熱意が込められた言葉たちがずらりと並ぶ。それはさながら「欲」のデパートのようで、独特の熱気を孕んでいる。テレビも、ブログも、YouTubeも。発信という行為が行われるメディアでは法人も個人も関係なく、風物詩とでもいうように様々な人の目標や欲がひしめき合う。 その熱気を、少し遠巻きに見るような気持ちで流し見してから、そのままスマホを布団の向こうに放り投げた。 私はもう一度布団に入ると、抱負というものについて改めて思考を巡ら