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山岡鉄次物語 父母編6-2

《ふたりして2》求婚

☆頼正には交際していた女性がいた。


珠恵は頼正の誘いで蒼生市に行った事があった。
街にある大きな神社の節分の祭礼で露店を出す為、塩島夫婦と頼正と共に出かけたのだ。
この祭礼では神社の境内に露店がズラリと並び、人の行き来もままならないぐらい賑やかだった。
塩島の露店ではべっこう飴を売った。

せっかく蒼生市に来たのだからと、露店は塩島一人に任せて、頼正と珠恵と芳江の3人で、蒼蓮湖に遊びに行った。
珠恵も芳江も初めての蒼蓮湖で、清涼な空気を吸い込むと、身体中が洗われるような感じだった。

山々に囲まれた眺めが綺麗な湖で、頼正と珠恵は手漕ぎボートに乗った。芳江は気を使って2人にしたのだ。

しばらくボート遊びを楽しんだ時、頼正が漕ぐ手を止めて言った。

『珠恵さん、この次に会うときに大事な話があります。』

珠恵は、話はこの場でもいいのに、と思ったが直ぐに答えた。

『はい、楽しみにしてます。』




昭和22年、頼正は22歳になっていた。珠恵に直ぐ求婚したかったが、その前にしなければならない事があった。

珠恵には、小さい頃から苦労を重ねて来たにもかかわらず、明るく朗らかなところがあり、貧しさを感じさせない麗しさがあった。
幼い時に両親を亡くし、兄を戦争で亡くし、姉妹で力を合わせて生きて来た珠恵の境遇を聞き知っていたので、頼正はなおさら珠恵に惹かれたのだ。

頼正は生涯の伴侶にするなら珠恵以外にないと思った。

頼正には珠恵と知り合う以前に、交際をしていた雅子と云う女性がいた。

この時代には尋常小学校や国民学校初等科を卒業して、旧制中学や高等女学校に進まず、職業についた勤労青少年男女の為の教育機関として、青年学校が設置されていた。

頼正は小学校を卒業出来ずに東京へ奉公に出て、奉公が終わった後に、職を求めて再び上京するまでの短い間、青年学校に通った事があった。
この頃青年学校女子部にいた雅子と知り合ったのだ。

18~19歳頃の若者は男っ振りが良くなり始める年頃だ。青年学校の頃の頼正は人気があった。
近づいて来る女性、秋波を送ってくる女性がいたが、頼正の気持ちは次の職場探しに向っていた。
いつまでも熱心に近づいて来ていたのが、雅子だったのだ。

私、山岡鉄次に年老いた父頼正が、この頃はモテモテだったと昔話をしたことがあったが、笑って話していたので、真偽のほどは解らない。


頼正は雅子と結婚する気はなかった。
珠恵に対する誠意の為にも求婚する前に縁を切らなけばと思い、雅子に別れ話を告げた。
雅子は意外にさっぱりと納得してくれた様だった。

ある日、ヤクザ風な出で立ちをした雅子の兄から責任を取るように迫られた。

その兄は凄みをきかせて言った。

『おい頼正君、妹を傷物にしておいて、はい、さようならは無いだろ。』

頼正はしっかり責任を取る気でいた。もちろん手切れ金を渡す事だ。

頼正は塩川駅の南側にあった雅子の家に行き、ヤミ屋やテキ屋で貯めた有り金すべてを渡して、何とか雅子と縁を切る事が出来た。

お金を出すまでは、すったもんだあったが、雅子の兄は金目当ての立会だったようだ。

手切れ金は結構の金額になったと云う。
この時8千円ぐらい、現在の価値では70~80万円ぐらいだと思われるが、実際の価値はもっと高かったようだ。

すっからかんになった頼正ではあったが、塩川の駅に向かった。

頼正は雅子との縁切りの日に、塩川駅に待たせておいた珠恵に求婚するのだった。

『珠恵さん、一緒になって下さい。』



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