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これからの旅の前夜のつづき

2人目の妊娠がわかった頃、1人目は一歳半を過ぎた頃で、保育園に通っていた。

保育園はモンテッソーリ教育をしている所で、
毎日「お仕事」をしているらしかった。 

勿論、一歳児がする事なので「遊び」ではあるのだけど、例えばボタンをとめるおもちゃみたいなものやパズルみたいなものを教具と呼んでいて、それらの教具の中から自分でやりたい事を決めてその「お仕事」をするとの事だった。

私は、つわりに思考が支配されながらも
一歳児の子が毎日やってる「お仕事」の方が
今の私の仕事より、よっぽど「お仕事」だなと
思う度、気持ちが落ち込んでいった。

「ありがたい環境」なのにに辛い。
辛いけど「つらい」と言えない。

そんな仕事をブルシットジョブという事があると後に知った。

ブルシット(bull-shit)と久しぶりに聞いたなぁと思った。

20歳の時、ワーキングホリデーでオーストラリアに行った時にシェアメイトのクロアチア人のおじさんの口癖だった。
“Bull Shit!”
英語をよく知らない20歳の私は、どういう意味かときいたら
おじさんは、指で牛のツノを表現して、
“Shit!”と怖い顔をした。
なんとなく意味はわかったけど、
調べたら酷い言葉が出てきて、
一緒にその現場にいたシェアメイトの日本人の女の子と大笑いした。

あれからもう15年も経って
ブルシットに再会するとは。

育休に入るまで、苦悩しながらも「辞める」選択はせずにブルシットジョブは続いた。

ゴールが見えるから辞めなかったし、経済的な理由が一番だった。
ずるかった。

どんどん仕事場にいる自分が好きではなくっていったけど、
仕事場から離れたら
お母さんだし、妊婦だし、それは間違いなく私が望んだ事だった。

だからなんとか自分でいられた気がする。
今、やっと分かる。
ブルシットだったのは仕事じゃなくて、
自分だった。
それがわかった。だからもう良い。

思い出の中の
牛のマネをする、怖い顔のおじさんの
“Bull Shit!”をあの時のわたしに捧げたい。

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