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怒りの因数分解をしたら、自分が悲しんでいることが分かった。

久しぶりにギョッとしたことがあった。教員になってからずっと親しくしていた仲間であり友人である女性の言動についてである。おしゃべりな彼女は情報通。いつも最新の情報を手にし、手渡し生きているような人。私は、時にそれに救われることもあれば、他人の情報をお茶と共に飲み込むことも多々あった。
(今思えば、今回の話も因果応報。)

そんな彼女に先日会った時。来年からの私と夫の状況について端っこだけ切り取ってお伝えした。本当は言うつもりは無かったのだけど、長い付き合いだし、教員も長いからぼやかしても言いたくない部分については「きっと分かってもらえる(察してくれる)だろう」と気を許した自分が迂闊だった。やっぱり、口に出した言葉は全て世の中へ流れ出ていってしまう。そう言うもんなのに。

ことの発端は、仕事から帰宅した夫の一言。「今日さ、(私の知人だが、夫とは初対面の)〇〇さんに話しかけられたんだよ。近況、丸っと知ってて驚いた。」

…絶句。そして、チリチリと心の奥の方で小さなモヤモヤが生まれ始めた。自分も迂闊に話したから、非はある。友人も知人も悪意はなく、「ただ話した」だけなんだと言うこともわかる。だけど、なんだか腑に落ちずに不快な気持ちがねっとりとまとわりついた。…イヤだな。

でもそれを本人に伝えたところで、無駄だろうなと諦めている自分。きっとイヤだったことを伝えたら申し訳ないと受け止めてくれる人だ。だけど、人の本質は変わらない。大人になったら尚更変わるのは難しいと言うことを経験しているからこそ、彼女へ話してしまった自分を恨めしく思う。話したい内容によって、相手を見極めないと自分が傷つくことは何度も経験して来たはずなのに、なかなか学習しない。

何度も何度も怒りを因数分解して、この気持ちはどこから生まれたんだろうと数日考えた。今まで自分がしてきたことが返ってきた。ただそれだけ。私の近況を彼女が誰かに話した、ただそれだけ。事柄が存在しただけ。だけど嫌だった。それは何故だろう。また考える。考える、考える。そうしたら、見えて来たものがあった。

私は傷ついていた。悲しかった。私はきっとどこかで、彼女と「分かり合える」。彼女なら「分かってくれる」と信じていた。今までの私を知っている彼女だから、話したのに忘年会という不特定多数が居る場でネタにされて悲しかったし不快だったことにたどりついた。と同時に、「今までの自分も似たようなことをしてしまったことがあるじゃないか」と過去を思い出し後悔の念にさいなまれる。

今は自分の踏み込まれたくないことへ踏み込まれることを過敏に嫌がっている。そんな時期だから余計に気になったのかもしれない。そう思い込もうとして、はたと気づく…ずっと前から「おしゃべり」な部分が気になっていたじゃないかと。目を背けていたのは自分だったのかもしれない。そんな風に考えたら、すとんと心の怒りが収まる。ここまでの縁だったのかもしれない。彼女との楽しかった思い出も彼女に助けられた思い出もたくさん抱え切れないほどある。だけど、彼女へは「本当に大事なことは言えないな」と不安に感じていたことを自覚してしまった。

私は自分にだけ伝えてくれた言葉は、自分の中で大切に守っておきたい。だから、私も大切に守ってくれる人と関係を深めていきたい。誰かの噂話や第三者の近況を話すのではなく、今の私と目の前にいるアナタの話がしたい。アナタが何を感じて生きているかを知りたい。これからはそういう話をして、生きていきたい。もちろん、嬉々として噂話をしてしまった過去の自分への自戒も忘れずに携えながら。


来年は心からの言葉を語り合える仲間との時間をこれまで以上に大切にして過ごしていきたい。そう気持ちを改めた年末でした。noteへの投稿で何度も心が救われた1年でした。出会ってくれた皆さん、スキをプッシュしてくれた皆さんに本当に感謝しています。ありがとうございます。来年もどうぞよろしくお願いします。好い年末年始をお過ごしください。皆さんに幸あれ!

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