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「友達○人に話を聞いてもらった」と思えば、数は気にならない。

「いいね」の数が伸びない。笑
「頑張る方向が違うのかな」とヤキモキもやもや。そして寂しくなる。

昨日の記事も自分にとっては大切なことに気づけた喜びと発見。それが巡り巡って誰かの心に寄り添えたらいいなと思って書いた。それは本心でありつつ、数が伸びないことはやはり複雑な気分だった。

…自分に都合のいいように考えたい。それに拍車をかけるように勝手な思い込みの渦の中をぐるぐるしていた。

「努力したものは必ず誰かへ届くはず!」と勝手に期待値を上げ。望んだ結果に恵まれないこと(いいねが増えない)に勝手に落ち込んでいる。

「自分は自分のことで精一杯なくせに他人には他所へも目を向けて欲しい」って思っちゃう傲慢な自分がいた。気づいた瞬間は恥ずかしくて悲しくなる。
けれど自分の中に勝手に湧いてきちゃう感情だから押し込めたりせずに丁寧に向き合う。それは自分が心地よく明日を過ごすため。何かや誰かの指標ではなく、自分の人生の手綱を自分の手でコントロールするために。

湧き上がるきもちたちと、一対一で向き合う時間をとってあげる。すると不思議。大概の悩みは消えていく。

ふとした瞬間に解決策がひらめくから…💎

6つもいいねがもらえているじゃん!
6人の友達にあんなに長々とした話を聞いてもらって受け止めてもらったじゃん。
(自分で読み返しても長〜いと感じる)

「いいね」という形でだれかの温かい心をもらった!それってすごくない?!
ありがたいことじゃない?!

ありがたさがじわじわと心の中に広がる。noteの広い世界の中で「kahoco」の記事を見つけてくれて、目を通してくれる人がいる。世界のどこかにいる🌏

「なんてありがたいんだー!みんなありがとうー!友よー!(謎)」という温かな気持ちになる。
(単純で幸せな思考回路…)


そもそも、あなたは50とか100とかいいねを貰いたいって思ってるんだっけ?

はたと気づく。私そんなこと求めてなかった!…誰か一人でも深く繋がれたら最高って思ってたよ!

目先の数に気を取られて大切なことを見失いかけていた。noteを始めた頃は、いいねがたった一人でもいい・ありがたい!って思っていたのに。

「私の言葉や心の動きに共感して受け止めてくれる場所があること」それを尊くありがたく感じていたじゃないかと。

大切なことだから忘れるな、わたし!忘れたくない。わすれたくない。ワスレタクナイ…………たぶん忘れる。きっとすぐ忘れて悲しくなったりもやもやすると思う!笑

それでも何度でも立ち返ろう。初心へ。
自分の言葉に共感してくれる人との出会いはどれもかけがえない宝だぞ。
それを忘れたら何も得られないぞ。わたし。

なんてったって、言葉は「言霊」!

自分が発し、願ったものを連れてきてくれる力があると信じている。さまざまな形で現れる個々に吉凶はない。
だから、自分がいかに受け取って、いかに考えるかで人生はいかようにも変わっていくはず。
わたしは、言葉のもつ不思議な力を信じたい。あたたかで豊かな人生を送れるように優しさとしなやかさをもった言葉を紡いで縁をつなげていく人でありたい。

そんなことを考えた、
「いいねが6つだった日」の話。
(壮大)(でもスッキリした!)

🇮🇳BGMは藤井風の「grace」

何があろうとも、
全てあたしのgrace(恵み)

目、耳、心全てがしあわせで満ちる。
This song is my mind🫶