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ビールと水〜㉒ピルスナーの誕生と水

前回からの続き
前回はIPAの成立要件とバートンの水質についての話でした。今回はピルスナーの誕生ストーリーです。


ピルスナー誕生の前提条件

1842年はイギリスと清の間にアヘン戦争の講和条約である南京条約が結ばれた年です。日本はまだ江戸時代で、明治維新の26年前です。ペリーが浦賀に来航したのが1853年なので、まだ1842年の日本は泰平の眠りの中にいました。その年にチェコのピルゼン(プルゼニ)で誕生したのがピルスナー。バートン同様、この場所でこのスタイルが誕生するのには前提条件がありますので、まずはそこから見ていきましょう。

ラガーの勃興

最初にラガーを造ったのはアインベックだったという記述をしている書籍もありますが、一般的にはラガー発祥の地はバイエルン地方と認知されています。15世紀ころからミュンヘン周辺で冬仕込のビールが造られ、従来のエールビールよりも汚染が少なく安定した品質を実現していました。この冬仕込ビールは低温で発酵するラガー酵母で造られたとされます。(ラガー酵母が特定されるのは後の時代になります)
ラガーの品質向上をさらに促進させたのが、ビール純粋令です。1516年にヴィルヘルム4世が制定した有名なバイエルン公国の法は、原材料を大麦、ホップ、水だけに限定することだけに注目が集まりがちですが、実は価格や製造方法、販売方法に至るまで詳細で多岐にわたる規定がありました。1553年にはバイエルン当局は夏場の醸造を禁止します。これによって事実上バイエルン地方では低温発酵のラガーしか造れなくなりました。
ラガービールは、低い温度で発酵、貯蔵されるので、汚染リスクが低いという利点がありました。そのためヨーロッパ大陸ではラガービールに将来性を見出す醸造家が次第に増えていったようです。ただし、ラガービールの普及に立ちはだかる壁がありました。それがイギリスの技術力です。

イギリスの技術力、淡色麦芽の威力

前回のIPA編でも触れましたが、18世紀後半から19世紀前半のビール業界ではイギリスの技術力が圧倒的に高かったのです。ちょうど産業革命真っ只中ですね。この頃にはドイツなどのヨーロッパ大陸の醸造家がイギリスの醸造所に「産業スパイ」的に視察にいき、麦汁をこっそり盗んで研究したという逸話もあります。イギリスのビールは世界的に大人気で、バイエルンなどドイツのビールは野暮ったい田舎ビールというイメージがつきまとい、大陸の醸造家たちはイメージ払拭に必死でした。
イギリスでは様々な醸造技術が高い水準にありましたが、特にコークス炉を利用した淡色麦芽の登場はゲームチェンジャーでした。ピルスナーには淡色麦芽が不可欠ですが、当時この技術を持っていたのはイギリスだったのです。

ボヘミアとピルスナーの誕生

ピルゼンのあるボヘミア地方はホップの名産地として知られ、古くからビール造りが行われてきました。ところが、隣国バイエルンでラガービールが盛んに造られるようになると、輸入ビールに押されて地元のエールビールの売れ行きが細ってしまいました。そこで市民醸造家たちはラガービールが製造できる新しいブルワリーを建て、バイエルンからヨゼフ・グロルという醸造家を招き、地元原材料を使ったラガービールを造ることで劣勢を挽回しようとします。こうして1942年に誕生したビールがピルスナーです。
当時の最新技術であるイギリス式のキルンで麦芽を乾燥させ、ピルゼンの軟水を使ったことで、今までにないような淡い金色のラガーが誕生しました。味わいも軽快で、ボヘミア産のホップの上品なアロマとよく合いました。

ピルゼンの水質

水質クイックビュー

背景がわかったところでピルゼンの水質をもう一度チェックしてみましょう。以前の投稿に登場した補正後データです。

ピルゼンの水質

極めて低い残アルカリ度はバートン同様淡色系のビールにぴったりです。味わいに影響を与えるとされるNa+、Cl-、SO4 2-はいずれも極めて低く、柔らかいマウスフィールになりそうです。以前の投稿で示したとおり、Cl-は麦芽からかなり移行しますが、SO4 2-はそれほど移行しません。
バートンの水質と比べると、味わいに影響するイオン成分が極めて低いです。この柔らかさゆえにシャープすぎずバランスのとれたピルスナーが造れると考えられます。

水質はたくさんある要因のほんの一部

さて、この投稿で書いたピルスナーの誕生の背景をインチキポンチ絵に落とし込んでみました。

ピルスナーの誕生背景(16世紀〜19世紀)

これを見ると、ピルゼンの水質というのはピルスナー誕生の中でほんの一部の要因しか占めていないことがわかります。軟水があるだけでは銘醸地になりえず、歴史的な要因や、ホップや麦芽の産地だったりという地理的な要因が複合的に関係しているということです。
この後、ピルスナーを原型として様々な淡色ラガーのスタイルが生まれますが、科学的な知見の広がりとともに各地で水質を克服して高品質なビールが造られていったのは、多くの方がご存知のとおりです。

次回(最終回)へと続く

今回はピルスナーの誕生と水についての話でした。バートンとIPAの投稿も合わせて読むと、水の要因というのは実はほんの一部であることが分かります。
次回はいよいよビールと水シリーズの最終回です。総まとめ編となります。

お読みくださりありがとうございます。この記事を読んで面白かったと思った方、なんだか喉が乾いてビールが飲みたくなった方、よろしけばこちらへどうぞ。

新しいビールの紹介です。投稿が滞っていたので紹介するビールが4つもあります。
まずは丹波山村のタバジビエさんとのコラボ「Wild Caught2023」。今回は丹波山産の山椒の使用量を増やしてよりパキッとしたスパイス感になってるはず。

Wild Caught

新種のNZ産ホップ品種Superdelicを使った「Hop Frontier New Year IPA」。新年には新種のホップのビールをどうぞ。

Hop Frontier New Year IPA

山梨県産トマトを使ったField Beer「とまちぇら」。スパイスをかなり効かせてます。トマトは北杜市のリコペルさんと中央市のヨダファームさんのものです。両生産者のファンの皆様もぜひ!

とまちぇら

最後に地元の老舗ワイナリー岩崎醸造さんとのコラボ「Chaotic Order」。微生物ビールであるOff Trailらしいマニアックな造りをしてます。

Chaotic Order

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