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季節の手仕事をする喜び

はじめまして。何てことない普通の、少々料理が好きな男子学生です。これから、好きな料理のことや好きな暮らしのことを思い立った時に綴ろうと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。

私は、「季節をどこで感じるか」と聞かれれば、迷わず「スーパーに並ぶ商品の顔ぶれ」と答えます。
この初夏の時期、実山椒が出回り始めました。苺の季節が終わりに近づき、2ヶ月前とくらべると安価になりました。小梅や青梅、らっきょう等が売られ、大容量の保存容器がお店の中の見えやすい場所に置かれるようになりました。スーパーに足繁く通うと、このような変化から季節の移ろいを感じられます。(今はこんなご時世ですのでそこまで頻繁にいけませんが。)

さあ、待ちに待った実山椒の時期。少し多めに買って、ストックすることにしました。しっかりと下処理をして冷凍すれば、1年くらいは持つそうです。

実山椒はまず、このように房になっているものを一つ一つ取っていきます。こんなことをしない方々からすれば「よくもまあこんなに地道な事をするなぁ」といった感覚でしょうか。確かにオシャレでもない、地味な作業です。
しかしこれがとっても心安らぎます。窓際に座って、ゆったりした音楽を聴きながらぼんやりと実を房から外す。指先からほのかに香る山椒の香りを感じながら、「季節のことをしているなぁ」という実感だけを確かに持って、あとは夢現です。お水を飲むことも、お手洗いに行くもの忘れて2時間ほど没頭していました。

処理が終わったらよく洗って、塩少々を加えたお湯で茹でます。柔らかくなったら水にとり、1時間ほど置きます。1時間後ザルにあげて水気を拭き取れば下処理完了です。今回は自家製のちりめん山椒を作ることにしました。

うん、美味しそう。ちりめん山椒はご飯のお供の中で一番好きな料理なので、明日から少しずつ楽しみたいと思います。すぐ無くなりそう。

そしてもうひとつ、安くなっていた苺で苺ジャムを作りました。

10分ほどサッと煮ました。綺麗に形も残って美味しそう。こちらは朝食で食べるパンのお供です。

ダラダラと書きましたが、こんなふうに「季節の手仕事をする」ということが私にとってはとても心躍ることであり、同時にとても心休まることでもあります。これはある種の陶酔かもしれません。この時代に、敢えて昔の人々と同じように季節の移ろいと歩みを合わせて、その季節ならではのことをしている自分に心底満足しているのでは、と思います。

栽培方法の改良によって作物は年中食べられるものが増え、レトルト食品等の既製品も著しい発達を遂げた現代において、多くの人にとって食べ物の旬を感じる必要は最早ないのかもしれません。それを補うだけの満足感を与える商品が山ほどありますから。
しかしそんな現代だからこそ、私はしっかりと食べ物で季節を感じたいなと思います。特に今は思うように外出が出来ずにずっと家に籠っていると、時間の経過が外とずれてしまいそうな気がするというか、季節を忘れてしまいそうな不安に駆られます。それを解消するには、やはり旬を味わうこと。旬ならではの滋味深く優しい味は、自分が確かに季節と共に歩いているという安心を与えてくれます。季節ならではの料理を丁寧に作って、食べる。そのサイクルが自分の心の安寧を取り戻すための軸になると感じています。

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