違和感

一昨日の劇的な気づきから一晩開けた昨日。朝はスッキリしたような、でもまだどっと疲れているような気持ちで起きた。
今の仕事で、モヤモヤしてることが溜まっていたこと。細かなモヤモヤを放置していたことがつらかったのだと、今更気づいた。
自分でも驚くほど、人は違和感を見ないようにできるのだなぁと改めて気づかされる。見ないようにしている違和感が、どれほど人を蝕むのかも思い知らされた。
モヤモヤとして未解決な仕事のことを考えるのが憂鬱で、働く気が起きず、働く気が起きないので休んだりしていると、時間が足りなくなり未解決のことを考えられない。そんな悪循環にいたのだと気づいた。
あぁ、私はこのことを考えることから逃げていたのか、と気づくと、話はとてもシンプルに思えた。その一方で、本当にそこを考えたいのか、それとも投げ出したいのかと問うと、そこはまだ答えが出なかった。

普段は在宅勤務だが、昨日は用事があり急遽出勤することにした。オフィスで上司と久しぶりに会って話すと、気持ちがとてもほっとした。上司も調子が悪いと聞き、自分だけでないのだという安心感もあった。

夕方幼稚園の入園説明会のため早退した。電車を間違えて降りたり、乗り過ごしたり、ドトールのロゴ入りの分厚い傘袋をつけたまま帰宅してしまったり、注意力がとても落ちている。

キリスト教系の幼稚園は、子ども一人一人が神の愛に満ちた存在であること、育つ力を持っているので、それを邪魔せず育むこと。保育者は神からその使命を与えられていること。家庭から社会に出る最初の場所なので、何よりもまず安心できること、楽しく通えることが大事。幼稚園楽しい!から、人生って楽しい!という気持ちにつなげる、などの話があった。

今通っている保育園は企業が運営している、今時でITの力を多用した、先進的な?ところで、先生たちもビジネスライクで良くも悪くもさっぱりしている。それに比べるととてもアットホームで、子どもたちを大事にしてくれそうで、何より楽しそうだった。
その分大変さもある。毎日お弁当。日曜には礼拝。午後の預かり保育は有料。親は在園中1度は役員をする必要がある。
私は何がしたくて、どこに向かいたいのか、改めて考えさせられる。
家事育児が得意な方ではないし、教育熱心なわけでもないから、幼稚園の魅力は感じる一方で、登園のためのサポートを頑張れるのか不安もある。 
とにかく今は疲れていて、やりたいことを考える余裕もないので、少し休みたい、というのが率直なところかもしれない。
年末で退職して、子どもと一緒に少しのんびり過ごして、4月からの幼稚園に備える、かなぁ。

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