必要とされること

評価会議に参加した。自分の評価もその場でされる場だ。私の番が来ると、マネジャーは、今期は○○さんは業務というよりも、コロナの影響で保育園休園があったり大変だったと思うので...業務というよりもお疲れ様でした、いつもありがとうございますという意味で、C評価(真ん中)、ですかねぇ...と、成果という成果が思い浮かばないからだろう。Cでも甘いだろうか...という感じを見せながら、言いづらそうに話をした。

執行役員も気を遣いながら、管理職制度がなくなり、マネジャー不在となる中、○○さんがいてくれて助かったと、××さん、△△さんも言っていました、と横からフォローしてくれた。

気遣いはありがたいけれど、その××さんが私へ厳しい評価をしていることも見えてしまっているので、気を遣われているなぁ...としか思えずいたたまれない。私が大して役に立てていないことは、誰よりも、私が知っているからだ。

一通りの発言を確認してから、最後に社長が口を開いた。
○○さんは、求められる役割が何なのか難しいよね。周囲の面倒を見るという意味ではそれなりの役割を求められるし、時短でコミットが難しいという意味では、あまり多くを求めず、気楽な立場で働いてもらう方がいいのかもしれないし、一般の会社だとそうするのかもしれない。

でもこの半期はいつも通りなんかじゃ全然なかったんじゃないかな。コロナで採用の状況も変わり、採用枠を縮小したり、拡大したり、スタッフのケアも、評価制度の変更も。激流のようだった。結果的に、蓋を開いてみると非常に多くのスタッフを採用できた。そう考えれば、A評価でもよいのかもしれない。それが何の影響かは正直わからない。どこまで○○さんの成果なのか、というのも難しい。でも、そもそもこういう話は半期で結果が出るものでなく、時間がかかるもの。でも、これまでの細かくチューニングしてくれていた影響もあるのじゃないかな、と話してくれた。

社長の話を聞きながら、zoom会議でビデオが映っているにも関わらず、思わず涙が出た。今期は保育園休園で大変すぎて正直記憶がなく、業務はいつも通り、特に何ができたというわけでもないですかね、と振り返っていたけれど、話を聞いているうちに、そういえばそんなこともあった、こんなこともあったな、と思い出した。あぁ、たしかに大変だったな、必死でやってたな、と気づいた。

今日の会議で、気持ちが持ち直せなかったら退職を申し出ようと思っていた。そんな私の心を察するかのような、社長の話だった。実際のところ、採用の成果に自分がどれだけ貢献したかというと、かなり怪しい。けれど、そういうことではなく、辞めないで、というメッセージなのだと受け取った。

評価というのは、いかに正しく行うかということでなく、いかにその人のモチベーションに繋がるようにするかということなのだなぁと感じた。
多くの人は、誰かの役に立ちたくて、自分が役に立っていると感じたくて、評価されること、認められることを切実に求める。
承認欲求が強いことはかっこ悪くみられたり、他者評価へ依存するのは良くないことと言われ、それは確かに行き過ぎると良くないと思うけれど、やっぱり人は人に必要とされたい。誰に必要とされなくてもいいじゃないなんてことは、他人事だから言えるんだよなとも思った。
居場所があるか、必要とされているか不安がある時、人は力を発揮できないし、やる気も湧かない。当たり前のことかもしれないけれど、そんなことを強く感じた一日だった。



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