N響&尾高忠明×角野隼斗ショパン公演(2023.7.8横浜、同7.9郡山)感想。(そして、親愛なる角野隼斗さん28歳のお誕生日おめでとう!)

正直なところ、この文章を書くには勇気が要った。思い切り葛藤した。
それは私がずっと、この郡山公演で角野隼斗さんが弾いた「ショパン ピアノ協奏曲第一番」の演奏には、もっともっと大きく圧倒的な賞賛や賛辞が与えられていいし、むしろもっとニュースになるべき出来事だと感じたから。

私が人生でも数える位しか感じた事がないほど、ホールの床にうずくまる位大感動したこの演奏を、感じた想いのまま熱く書くことはたやすい。でも果たしてそれは良い事なのだろうか。
当然ながら同公演を聴かれた方が等しく感じたもののはずはなく、ましてや会場の席の位置や個々人の好みによって受けた印象も全然違っただろうことは想像に難くなく。
もしかすると私の文章に熱がこもればこもるほど、そう感じなかった人にとって違和感と嫌悪感を生む文章になってしまうかもしれず、それは、角野隼斗さんの演奏が素晴らしかったという事を伝えたい、その意図からすると全く逆効果になる。

公に書かなくても感じた感動が確かなら、むしろ書かなくてもいいのでは。個人的な価値観の押し付けになるだけではないか。そもそも音楽は受け取る人の自由な感性で受け取るべきものだと思うし、感動は主体的なものであって客体的ではあり得ないから、それをあえて共有する意味ってあるのか。

数日間めちゃくちゃ葛藤して、でも、書かなかったらあの感動は私の中で、自分で自分を殺したようになると思った。
数日たってもあの公演での感動の火種はずっと燻り続けてて、私に生きる勇気を、背中を押す影響力を及ぼしている。だから、独り善がりで個人的で主観的でもいいや。嫌な気持ちになる人がいたらすみません。でも、私は私の感じた事を好きに書こうと思った。腹を括りました。

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今回のN響×尾高忠明マエストロと角野隼斗さんとの公演。
私にとってはついにこの時が来た。。。という感慨無量の公演情報だった。

というのも、元々私は色々なオケのコンサートに行ってたけど(チケット代が高いから大変だった)、生の音で一番好きになったのがN響で。
一時は、よく行き過ぎて、各パートの首席の人の顔と名前はもちろん使っている楽器についても特徴見て若干判別可能という気持ち悪い感じで(笑)、団員さんの弦楽四重奏とか個人的な活動なども聴きに行ったりしていた。
本当に技術的に高いレベルを持った奏者ばかりの、統制の取れたオーケストラで、ある種、お手本みたいなきちんとした型を守った美しい演奏をするオーケストラだと思う(注:個人的感想です)。

そして、尾高忠明さん。私が子どもを生んで2か月後に右耳突発性難聴で高音域を失聴するまで、妊娠中(2011年頃?)までもしぶとく(笑)ずっとクラシックのコンサートに通ってて。
それまでに足を運んだコンサートのうち、たぶん読響かN響(2010年にN響の正指揮者に就任された)か日フィルか東フィル…?で指揮を振られている姿を何度も拝見して、なんて美しくて調和がとれた優美な指揮をされるのだろう(でも決して退屈にならず胸に迫る展開と各パートの美音のバランスが素晴らしい)と思って、そういう所にとても心惹かれていた。

そんな個人的思い入れのあるN響と尾高さんが、まさかこの世で最も大切で敬愛してやまないピアニスト、角野隼斗さんと共演されるとは!!!
……神に感謝して震えました。
そして、同時に不安にもなりました。
耳を悪くしてからN響は生で聴いていないし、尾高さんの指揮も同じく体験していない。以前聴いたことがあるからこそ聴こえ方の違いは際立つもので、コンサートで生音聴いた時に昔の素敵な音が聴こえなかったら、私自身多分ショックを受けるし傷つくだろうと思った。
角野隼斗さんがN響と共演するという天を衝くような物凄く大きな期待と、過去と違う鈴虫三匹分の耳鳴りという後遺症を飼う右耳がざわざわと心をかき乱す不安との両方が相まって、本当に落ち着かなかった。

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そして、初日の横浜。
席はたしか一階一番奥の列で、上の階が庇のように張り出しているちょうど真下に位置したので、音がより弱まって聴こえてしまう場所だったと思う。
そのせいかほんの少し音は丸まって弱まって聴こえてきたものの、全然色褪せることなくオケは美しく一体となってピアノに寄り添い響き、肝心の角野隼斗さんは昨年のポーランド放送響とのショパンともまた違った感じで、余裕と圧倒的な美しさを感じる、素敵で溜め息がでるような演奏でした。

第一楽章の入りから自然体にこの曲に臨まれている感じで、でも1音1音の音色の美しさと、音やフレーズへの繊細で丁寧な意識はさらに磨きがかかっていて、さすが素晴らしいなぁと思いました。
第二楽章はもともと美しい弱音がさらに進化して、大事なところで弱音なのに遠くまで驚くほど伸びていって届くという、どういう仕掛けなのか謎な美しい音を出されていて、この美弱音(‼)は何なの!とドキッとしました。
第三楽章ではいつものかてぃんさんのリズム感が前面に出てきて、凄くのびのび楽しそうに弾かれていたので、こちらもめちゃくちゃ嬉しかったです。

尾高マエストロがお話しされていたのですが、この前日に初対面で初めて合わせて横浜の本番を迎えたそうで、普通どれくらいの時間で合わせるものかド素人すぎて目安が分からないのですが、一切急ごしらえとは思えない、素晴らしく調和の取れた美しいショパンコンチェルト1番でした。

私は勝手に、N響×尾高さんを前に、角野さんといえ緊張なさる事もあるかもしれない、とほんのり心配していたりしたのですが、郡山公演後の夜のインスタライブで角野さんが仰るには、そんなことはあまりなかったらしく(笑)
尾高マエストロは「自由にやっていいよ」と言ってくださったそうで、角野さんがどんなに自由にピアノのテンポを揺らして弾いても、いつのまにか寄り添っててぴたっと合わせて下さっている、そんな感覚だったそうです。
角野さんも、普段はオケに合わせに行こうという意識もあるのだけど(個人的解釈:アデスとかアダムスとかオケと合わせることが非常に重要な曲もあるからかなと)、合わせようとしたらいつの間にか向こうから合わせられている感じで安心して心地よく弾けた、というニュアンスの事を仰っていて何だか非常に嬉しかったです。

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ただ初日の横浜を終えて、私は、その……思う所がありまして。好みの問題だと思うので、以下の文章は本当に個人的な思いです。嫌な思いをされてしまう方がいたら本当にすみません。

人間、本気を出すのって意外と難しいと思う。
きっと上手くできてしまうようになればなるほど、その一瞬一瞬に全力を注いだり、魂かけたり、自分の心を開放して表現するのって難しくなる。

ダンスの例ばかりで引き出し少なくて本当申し訳ないのですが、ダンスの先生が言うのには「上手いね」は全然褒めてないんだと。
上手い、できてる、それは素晴らしいことだけど技術だけだとやっぱりつまらないダンスになるよね。と。
だったらむしろ下手でできてない、でも懸命に踊ってるほうが意外と「味」が出てて面白かったりはする。と。
音楽においては全てがそうじゃないけど(そもそも下手過ぎてしまうと音楽として成り立たない問題が発生する…)、その言も分かる自分がいて。
無味無臭の完全無欠のものを見ても、きっと心ってあんま動かない。
自分の中にある何かを懸命に伝えようとしたり、苦悩しつつ出口を探して泥臭くもがいてたり、圧倒的に幸せそうだったり、どこまでもストイックに自分なりの音楽との融合した表現を突き詰めてたり、そういう、ある意味struggleした結果の表現にこそ強く  心惹かれてやまない。
少なくとも私は、そうで。

初日の横浜のN響と角野さんの共演は、美しくて繊細でめちゃくちゃ素晴らしく調和していたけれども、それがめちゃくちゃ良かったからこそ、もっと上のワクワクを期待してしまうというか……。
すっごく言いづらいけど、お見合いのような感じがしたのです。遠慮があるというか、本気で殴り合ってないっていうか(いやそもそも殴り合わないか。お見合いの例えなら本音で喋っていないって感じかな…)。

私はN響の演奏レベルの高さや、尾高さんの美しくまとめ上げる指揮が好きで。
好きなんだけど、N響は上手くて技術の高さがあるからこそ、死ぬ気になって全力を出さずとも、ひょいっとやればある程度の曲ならばたやすくまとめることができてしまうという部分に、私にとっては前々から少し不満がありまして……(注:個人的意見です)。
もっと角野隼斗さんの自由で雄弁な演奏を聴かせて度肝を抜かせたい!、そしてそれに触発されたN響の音も聴きたい!、と思ってしまった。

だから、このまとまりを全て打ちこわす勢いで、角野さんには今の気持ちを新たに乗せて、ご自分がこの曲に感じる感情の溢れ出すままに、自由にのびのびとした心持ちでこの曲を奏でて欲しいと思った。
今の想いを乗せてあの何よりも雄弁で自由なピアノで、とてつもない表現力で会場全体に響かせたら、昔からのN響ファンや古くからのクラシックファンの皆さんでさえ、魅力的すぎるピアノに必ずや心を鷲掴みにされるはず。
そうして、聴衆をガツンと驚かせて、ワクワクさせて、根こそぎ角野さんのピアノの虜にしちゃって欲しい!と思った。
そうしたら、絶対にN響のオケはつられて本気を出してくる。
そのとき聴こえる世界はどんなんだろう。絶対に絶対に今日よりももっと素晴らしいと思う。それができるのは、たぶん他の誰でもなく、従来の型に全くはまらない音楽家の角野隼斗さんしかいないはず。

もうショパコンは関係なくて。そこに「ショパン ピアノ協奏曲第一番」という名曲があって、それに対峙するのは、ピアニストであり作曲も編曲もできる、自由な音楽家としての角野隼斗さんがいるだけで。
どんなクラシック奏者よりもオケよりも遥かにずっと、私が今誰よりも最高に格好良いと思ってて、最高に大好きで、世界一素敵で美しいと感じる角野隼斗さんだからこそ奏でられるピアノの音、音楽を、N響とのこの共演でめっちゃ聴きたいと強く思ってしまった。

なので、次の日の郡山公演では、角野隼斗さんが重ねたこの1年の経験(NYに行かれたり、数々の海外公演をされたり)から得たものや、今の角野さん自身がこの曲に対して想うままの気持ちをもっとのせて、自由にのびのびと解き放たれた演奏が聴けたらいいなぁと思って、期待しつつワクワクしながら寝ました。

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そして郡山公演。
情けないのですが、私は前日まで郡山を福島県だと知らず(北関東のどこかかと…。理系バカで地理弱すぎてすみません)、前夜に知って乗り換えのスケジュールなど大丈夫かなとわりと焦っていたのですが、思ったよりも近くて、新幹線なら当日移動は全然大丈夫な距離なのだなぁとひと安心。

と思っていたら、角野さんも郡山公演のプレトークをお一人で任されていてその最中に「福島は初めて」と発言され、即座にお客様から「いわきは?」と突っ込まれ、どうやらいわきが福島県であるのをご存じなかった模様で。
その時に私の頭に浮かんだのは、ジャイアンがのび太に泣きながら言う「おぉ~心の友よ(涙)」という感情でした笑。一切馬鹿にできないどころか、むしろ仲間を見つけた安心感でいっぱいでした。いや、私の場合年齢があれなので全く同条件じゃないけど…。
私は今まで、さんざん周りから地理弱すぎと言われてきたので、親近感満載で嬉しかった。理系院卒って多分歴史地理弱いひとが多いのではと思う。(当社調。ちなみに私は倫理選択です★)

それよりこのトーク間に、個人的きゅんポイントがありまして。
N響の公演であるにも関わらず、ソリストがお一人でプレトークする事自体けっこうハードル高いと思うのですが。
14時20分開始でおひとりで5分くらい喋って、25分になったら尾高さんを呼んでもいいよと言われていたらしく、頼みの綱にしていた尾高さんを呼ぶもまだ着替え中という事で(笑)、また間を持たせなければいけなくなり、さすがの角野さんも手持ち無沙汰感がありまして。

ピアノの鍵盤の横の板ありますよね。ぐるっと側面を覆っている板。
右手はマイク持って喋ってるけど、左手はどうしたらよいものか落ち着く場所を探して彷徨った末に、その板のいちばん鍵盤側の端っこの上のほうに置かれて、何とかひとりでプレトークを回しながら、無意識に左の袖口で、板の上部をふきふきふきふきされていて。

その過剰な拭き加減と無意識な行動に、なんとか間を持たせなければと奮闘している感じが出ていて、あぁ緊張なさってるのかなと胸にくるものがありました……。いや、正直に言おう。年相応にめっちゃ可愛いすぎた!
わー何だあの天然の可愛い仕草は!ってひとりで悶絶して、溢れ出る萌えときゅんが止まりませんでした。
結構ツアーでもMCで話す時に、その部分に左手を置かれることは多くて、時々拭くような感じに軽く動かされるのもお見かけするのですが、その比じゃないほど、ふきふきふきふき、されていたので、いやもう愛らしすぎていじらし過ぎてですね……。
「そんなに磨いたらたぶんめっちゃ綺麗になるけど、お袖が汚れないだろうか」と不安1:きゅん99で思っていました。

尾高さんがいらしてからのトークは非常に安定していて、尾高さんも角野さんに対して「二日間やればもうね」と笑顔で、昔からの友達みたいな仲良しな空気を出されていたので、角野さんは指揮者の方からすると特別な魅力があって、誰からも好かれる方なのだなぁとしみじみと思いました。

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そして、公演本編。
私は「ショパンピアノ協奏曲第一番」の最後の一音の余韻が消えた瞬間に、世界最短記録更新で椅子から立ち上がると、「ブラボー!」って大きな声で叫んで、ばかみたいに大きな拍手を3階席の上の方から全力で贈っていました。
全身全霊で大感動して、あまりに大感動して、人生でも数える位しか経験したことのない気持ちに襲われていました。
以下、そのときの気持ちを書いたものです。

もう、ほんとに、角野隼斗さん最高!!!!!!
最高に最高過ぎてもう感無量で大感動で胸のなか涙でいっぱい。
最初から最後まで、もうずっと泣けました……。
ピアノが心を歌っている、気持ちが伝わってくる。決然とした意志も、圧倒的な美しいものへの憧憬も、憂いも歓びも、優美に表現力豊かに、直接語りかけられているようでした。
そして3楽章では踊ったり跳ねたり楽しそうで、感情表現に満ちていて、ほんとにほんとに素晴らしかった!!!!!

大感動だった!!! コンサート終わって一旦座ってアンケート書いたら、余韻で立てなくてもうずっと感動していて、立ち上がって歩こうと思ってたけどまだ感動がすごすぎて頭クラクラして、再びホールの床にしゃがみ込んでしまった。凄すぎる。
いまだに感動がやまないです。素晴らしかった!!!
ほんとに誰よりも何よりも格好良かった!!!!!
N響の皆さんも尾高さんも、火の鳥、触発されてすごい演奏になってました。ですが、今日のナンバーワンでMVPは絶対絶対揺るがない、角野隼斗さん以外有り得ないと思う。
心に残る最高の演奏をありがとう!!!!!

今までのコンサートや演奏でも、あんまりにも素敵で美しい音を、具体的にいうと、ピアノの音を通して純粋な美しい感情がダイレクトに伝わってくるような、そんな音を角野隼斗さんは奏でて下さる事が多くて。

だけどその中でも、ほんとうに音楽そのもの、音そのものが語りかけてくるような、心に直接エスパーみたいに感情を語りかけるように伝わってくる時があって。音のひとつひとつというより、音のひとまとまり、パッセージごとに次々と伝わってくる感情があって、それを聴くたびにこの人はピアノで語る事ができるのだなとほんとうに魔法みたいなことを実感する。
(漫画オタク注:進撃の巨人だと始祖の巨人(座標?)の力でエルディア人の頭の中にエレンが直接語りかける場面があるけどまさにあの感じで)

最近は角野隼斗さんがそういう音を、音楽を奏でられる頻度がめちゃくちゃに増えていて、そのときに心に伝わってくるものがあまりに美しかったり、心揺さぶられたり、切なかったり、純粋であまりに突き動されるとき、私は流れ込んでくる音の感情に集中したくなって、コンサート中なのにせっかくの角野さんの姿も弾いている手元も見ずに、つい目を閉じて聴き入ってしまうことが本当増えた。
意図的じゃなく無意識でいつの間にか目を閉じてるのだけど、そうすると流れ込んでくる感情が物凄くて、こんなに雄弁にピアノの音で人は語ることができるんだ、と思って、愕然とする。
こんなピアノは角野隼斗さんの弾く演奏でしか感じた事がない。
キラキラした音の粒がそろっていて美しいとか、技術がどうこうとか専門的な事は詳しくは分からないけど、今聴いている演奏が私の胸を打ったかどうかなんてことは体験すれば分かる。

郡山公演の角野隼斗さんのピアノは、人生史上でも相当なくらいに、私の胸を心をつよくつよく打った。

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第一楽章、ほんとに最初のピアノの冒頭部。
角野さんのピアノが、決然とした意志を持って鳴り響いて始まった途端、一気に私のなかで感動がダーッて込み上げてしまって、感情のダムが即決壊して泣いてしまった。
今回の郡山公演では横浜のときよりもはっきりと、角野さんのピアノの声が聴こえる。そのことに私は物凄く感動した。
感性が豊かな角野さんらしく、感情表現がものすごく豊かで、場面場面で移り変わっていく情感に合わせて、音も一音たりとて妥協しない。
繰り返しで同じフレーズを弾く場合であっても、そこに乗せる思いや解釈は、角野隼斗さんのなかでは明らかに意味付けが違っているのが明確に心に伝わってくる。とにかく角野さんのピアノがオケよりも前面に出て、自由にのびのびと感情を歌っているのが感動しすぎて号泣ものだった。
オケに遠慮したり合わせようとしたりせずに、出力全開で「角野隼斗のピアノ」が圧倒的に魅力的に鳴っていて、これが最高に最高でもう涙腺が駄目だった。

のだめちゃんがそこにいる、と思った。
のだめがもし、この曲やショパンの作曲の背景をきちんと理解して、それを踏まえて、でもさらに一歩進んで、そもそもクラシック音楽はあくまで音楽で人の心を揺さぶる芸術なのだから、考古学のように過去の遺物を研究保管鑑賞するためにあるのではなく、聴いている人の心を打つために奏でられるのがきっと1番大切で。
そんなことまで考えて、持ち前の自由な表現力と感性を最大限に生かして、この曲を弾いたとしたらこんな風に人の心をワクワクと大感動の渦で打つのかなとそんなことを思った。

今の時代を普通に生きる私たちがクラシック音楽を聴くときに、私自身としては、この曲が自分ごとに聴こえる事がすごく大切だと思っていて。
言い換えれば、今を生きる私の心にも全く古びることなくズガーンと撃ち抜かれるような感情におそわれること、人が生きる事や人生の素晴らしさを再認識させられるような、身体が震えるくらい痺れるくらいの深い感動に満ちる事、それがすごく私にとってはクラシック音楽の醍醐味で。

それは予定調和の正解があるようなお行儀の良くまとまった再現芸術ではなくて、奏者が自分が今のこの時この曲を弾くことの意味を大切にして、曲と懸命に一心不乱に一意専心に誠実に向き合って弾いていること。
この曲の音楽を奏でることに全身全霊で向き合って、その想いを豊かな表現力で、自由にのびのびと音に乗せて聴衆に届ける。
そしたら聴衆は自分ごとのように、今の等身大の自分で心を撃たれて、めちゃくちゃ感動する。

この曲が何百年という年月の研鑽を経てなお残っているという事実が証明するように、もはやこの曲は人の心の中の共通の「何か名状しがたい大事な尊いもの」を内包していて、だからこそ万人の心を惹きつけて感動させ続けているのだけど。
でもそれは決して古典(クラシック)という枠に収まるべきものではなくて、今を生きる自分の心にすら生き生きと届いて、心にめちゃくちゃ響いて、人生を変えるほどに感動して前向きになれる。そうあって欲しいと私は思っている。
それが「今を生きるクラシック音楽」だと思う。
その今を生きるクラシック音楽を、角野隼斗さんはこの演奏でみごとに体現してくれていた。
古びることなくみずみずしく、今生まれた音楽のように鮮やかに、弾いて心に届けてくれました。そのことを私は凄く幸福だと心の底から思った。


脱線が長くなりました。
第二楽章はさらにピアノが純粋な美しさに満ちて、それでいてそこには確かに角野さんの情熱的な感情が乗っていて、角野さんの心にある美しい曲想とそれを伝えるための磨かれた表現力が十全に発揮されて、ストレートな思いが伝わって天までも羽ばたいていきそうに尊かった。

なんて表現したらいいんだろう。
人生で感じたことが何度かしかない感情ってあると思うのですが、その感情は、直近だと覚えてるのは子どもを産んだときに感じた、あの美しい感動と多幸感と光に満ちた感情で。
ひさしぶりに今回の公演でその感情に出逢えました。

自分が生まれてきて今まで生きてきた意味が解った感じ、というか、それはこの感動に出逢うためだったんだなという気持ちというか。
こうしてこの演奏に出逢えたことだけで、唯一それだけでもう、自分が生まれてきた事に感謝したくなって全肯定する感情に包まれる感じ、というか。脳内ではたぶんオキシトシンとかが有り得ない位めちゃくちゃ出ているのじゃなかろうか。
そういうあの全身全霊で全肯定感を、多幸感を感じている、そんな感情になりました。
そんな最高に美しく響きわたる第二楽章でした。


第三楽章は、今までの角野隼斗さんらしいリズミカルで楽しげに踊って跳ねる音はもちろん健在で。
そこに、軽やかさと優美さというか、具体的にいうとペダリングを細かくされているのかな…? すみません、私自身のピアノの技術がなさすぎて残念なことに仕組みが全く良くわからないのですが、音はあくまで軽やかなまま、でもその音のパッセージ(短いまとまり?)ごとに、素晴らしく上品に華麗にまろやかに美しく響いて、それがパッセージごとに繰り返し寄せては返してこちらに届いてくるので、もう次々に軽やかな美しさが舞い降りてきて、こんな天上のダンスみたいな天国の舞いみたいな圧倒的に美しくワクワクする音楽があるのかと、溜息でした。

それに楽しくて美しいだけでなくて、ショパンが生きていたらこんなふうに弾いてくれたら最高に嬉しいだろうなと。
軽やかに跳ねる音と、美しく響いて舞う音が共存して、さらに角野隼斗さんの表現力の素晴らしさが際立っていました。ショパンの生み出したこの曲にプラスして、角野隼斗さんが表現してくださったこの圧倒的に魅力的な第3楽章の演奏に大感動でした。。。

そして気付けば椅子立ち上がり選手権の世界記録更新で立ち上がって、ブラボーを叫んでいました。
なんて幸せなことなのだろう。そして、そんな幸せをくださる人はなんてかけがえなく尊いんだろう。本当にそう思いました。


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そのひとの個性とかその人らしさとかっていうのは、前に掲げるんじゃなくて、後ろにできているものだと思う。
気づけば歩んだその後ろに、そのひとの生き生きと一意専心に取り組んだそのあとで、結果的に、表現されたもののなかに特別周囲の人や本人にとって心に残るものがあって、それが、つまりは個性とかその人らしさなんだと思う。

人と違っていて、心を打つもの。
郡山公演の演奏は、すごくすごく角野隼斗さんらしかった。
細部まで繊細な美しさも健在でありつつ、感受性豊かで感情豊かな角野隼斗さんらしく、ピアノで雄弁に語りかけるような音で。

さらに、自分の思いを自由に音楽にのせて奏でる余裕というか、圧倒的な技術に裏打ちされた表現力もあって、そして今の角野さんの状況とも相まってか、終盤のあの素晴らしい寄せて返すあのフレーズ弾き終わって、そこから最後の最後ののぼりつめる一音を弾き切るまで、ずっと軽やかで楽しげながらも、強い前進の決意を感じて、めちゃくちゃに感動した。
これから前へ進むんだ、という力強さを、心に満開の明るさと美しさで貰えた。

ぐいって力任せに押すんじゃなく、角野隼斗さんらしく楽しげに明るくどこまでも美しく、どこまでも幸せそうで自然体で、その演奏が心を通じてこちらに笑いかけてくれるだけで、ふわって空まで気持ちを持ち上げてくれるように、自然にこっちが満面の笑顔になってしまった。
前へ進む力強さ、満開の明るさ、純粋な美しさ、自由な羽が生えたような軽やかさ。
すべてが前に進むための勇気になるし、背中を押してくれる力になる。
今回の角野隼斗さんの演奏を通じて、そんなお守りみたいな気持ちをもらえたのも本当に有難くて、私にとってはすごく貴重だ。

そして、間違いなくそういう特別な感動を得られたのは、尾高忠明マエストロが角野隼斗さんのピアノを生かすべく素晴らしい指揮をして、N響がそれに呼応して最高の演奏をしてくださったからだと思う。
ありがとうございました。

素晴らしく美しくて、天上の神様が奏でる音楽みたいで、それでいて最高に「角野隼斗」らしくて超絶に世界一の格好良い演奏をしてくださった、角野隼斗さん。
本当にほんとうにありがとうございました!!!


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そして、今は日付変わって、7月14日0:00ちょうど。
角野隼斗さん、28歳のお誕生日おめでとうございます!!!

いつもいつも本当にありがとうございます。
大袈裟でなく、あなたの音楽が私を生かしてくれています。

最高のプレゼントをいつも下さる角野隼斗さんの28歳の前途に、幸福しか訪れない事を願っています。
Happy Birthday HAYATO!!!
I wish you the best of luck!  I wish for your future success.

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