とある回避性パーソナリティ障害の人生(小学校中学年まで)

今回の記事では私が患っている回避性パーソナリティ障害について簡単に説明し、自分の人生を振り返ってみようかと思います。



① 回避性パーソナリティ障害とは

回避性パーソナリティについて、ある本では以下のような説明がなされています。

回避 性 パーソナリティ 障害 は、 自分 への 自信 のなさや 人 から 馬鹿 にさ れる のでは ない か という 恐れ の ため に、 社会 と かかわる こと や 親密 な 対人関係 を 避ける こと を 特徴 と する 状態 で ある。

岡田 尊司. 生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書) (p.47). 朝日新聞出版. 

高校入学したての頃、仲良くなった異性から連絡先の交換を求められるも、メールで変な事言って嫌われるのが嫌だったのでよくわからない理由を並べて断ったことがあります。今思えば回避性パーソナリティ障害のお手本みたいな行動ですね。

また、回避性パーソナリティ障害について書かれた論文ではその成因について、幼少期の身体的・精神的ネグレクトが大きな原因であり、幼少期に面倒を見てもらったり世話をされなかったり守られなかったことで精神面の健康が害された可能性があると示唆しています。( EiKenaes et al., 2015)

幼少期はどんな風に育てられ、何があったのか、どんな事で傷ついたのか、
次の章から振り返っていきます。


② 家族構成と成育環境について


家族構成は父、母、兄、そして私。どこにでもある4人家族の次男として生まれました。
私から見たそれぞれの人物像について簡単に紹介します。


地方公務員。
休日はパチンコに行き家を空けることが多いが、たまに近場の遊び場に連れて行ってくれた。
寡黙気味でコミュニケーションはあまり得意ではなかった。
根はいいが少し不器用でたまに調子に乗って突拍子もないことをする。
例えば、ある日パチンコで大勝したのかカニをたくさん持ち帰ったことがあった。私も兄もカニを食べるのが初めてだったので、大喜びしながら全部食べ切った。すると、これに気をよくしたのか、次の日もその次の日もカニを買ってきて、1週間近く晩御飯がカニになったことがあった。


私が回避性人格障害になった主な原因だと思う。
私が小学4年生の頃まで地方公務員をしていたがそれ以降は専業主婦となる。
過保護で過干渉だがネグレクト。掃除整理整頓ができない。
息子を東大早慶などの難関大学へ進学させ医者になるか大企業への就職、
つまり勝ち組になってもらうことを夢見ている節がある。
うまく言葉にできないときは暴力をふるう事がある。
長いものに巻かれ面倒ごとを下の人に押し付ける事なかれ主義。


すこし年が離れた兄。
私が回避性人格障害になった遠因。
自分勝手で横暴な面があり、自分の思い通りにならないことがあると物にあたる癇癪持ち。それ故、母は兄が暴れないように甘やかし、私がその尻ぬぐいをさせられることが多かった。
中学から不登校。

関東のとある県に次男として生まれました。
物心ついたのは年中くらいで、幼少期は母が決めるままに小学校受験の塾・サッカー・水泳・美術・ピアノに通い習い事漬けの日々でした。
保育園でみんながお昼寝をしている中こっそりと抜けだし、電車にゆられて塾へ向かい、前転の練習や世界の国と首都と国旗を覚えた記憶があります。

教育ママ的な母親でしたが、成育環境はあまり良いとは言えませんでした。
母は掃除ができない人であったため、家は「汚屋敷」と化していました。
リビングも冷蔵庫も寝室も洗面所も物であふれかえっていました。
衣服は気が向いたときにしか洋服箪笥に収納せず、干し終わった洗濯物は基本的にリビングの床に山積みに置き、その山から今日着る服と靴下を取って登校していました。
歯磨きしろと親から教育された記憶がなく、週一くらいでしか歯磨きをせず、高校生になってから歯医者で治療を開始したのですが、その時には8割方の歯が虫歯になっており、治療がひと段落するまでに5年近くかかりました。
食事だけはまともに出ていた気がします。

③ 小学校入学

小学校受験は無事成功し、地元では偏差値の高い小学校に入学することができました。
この小学校受験をさせてくれたことは親に感謝できる数少ない点です。
なぜなら、小学1、2年生の担任の先生との出会いにより勉強の楽しさを知ることができたからです。
女性の先生で国語が専門でしたが全教科教え方が上手で、教室の中でただ教科書を使って授業をするだけでなく、学外にでて道端にいた虫や花を捕まえ名前の由来とかを解説してくれたり、保護者の方に協力いただいて仕事のお話を聞いたりと、教室や教科書の枠を超え様々なことを学ぶことができました。
私が日本語や言葉を好きになったのも、毎日詩やことわざなどを1つ紹介してくれて、授業の一環で積極的に図書室へ行き本に触れる経験を与えてくれたこの先生のおかげです。
通学に電車徒歩バス含めて1時間弱かかりゲームがなかった当時は暇な時間が多く、かいけつゾロリやかいぞくポケットやぼくは王さまなどの児童文学、漫画で学ぶシリーズ、伝記、恐竜の本など様々な本を読んでいました。
この頃はまだ楽しかった気がします。

④ 親への不信

小学校生活は楽しかったものの、家庭生活はそんなことはなく親を信頼できなくなる出来事が起こります。
ことの始まりは塾を変えたことです。

小学生になってからは家から1時間ほどかかる某有名中学受験塾に通い始めました。
1・2年の頃は先述の通り勉強が好きだったため、塾でも成績が良く一番上のクラスで学んでいました。
ところが、3年生のある日受けたクラス分けテストで国語の大問1を解答したあとすぐ寝てしまう大失態をおかしひどい点数を取ったため、上から二番目のクラスを下げられました。
さらに、塾長に「国語はあきらめなさい」と言われたことが大変ショックで塾をやめたい勉強したくないと母に言いました。母も一番上のクラスで学べないならわざわざ遠くの塾に通わせるのはもったいないからとそれに同意し家の近所にある塾へ通うことになりました。
新しく入った塾では中々友達ができず、楽しめていた勉強も楽しくなくなり成績は下降していきました。

そんな中、小学3年生の秋頃にカブスカウトに入りました。
家の近所の公民館で活動している姿になぜだか目を引かれ、母親にやってみたいとお願いし自分の意志で入りました。
カブスカウトとはボーイスカウトの小学生版で、自然の中でキャンプやオリエンテーリングを楽しんだり、地元のバザーやボランティアに参加する集団です。
地元から離れた小学校に通っていたせいで中々出来なかった地元の友達ができたことがとてもうれしく、毎週末いろんなことをして遊びました。
ただ、母としてはあまり乗り気ではなかったのかもしれません。
カブスカウトで1泊2日のキャンプに行く日と塾のテストの日が被ったことがありました。キャンプに行きたいと駄々をこねると頭を叩かれました。
また、カブスカウトはスキルを身に着けると(例えば、ボタン付けができる、手旗信号を覚えるなど)ワッペンがもらえるのです。
そのワッペンをたくさん集めることがカブスカウトにとっての勲章なのです。私もそれが欲しくボタン付けの練習がしたいと言うと、色々面倒くさいからダメと母に言われ、それでもしつこくお願いすると頭を叩かれました。

カブスカウトの活動が楽しくなればなるほど、やりたくもない勉強への苦痛がより強くなり、つらさが限界となった小学4年生の6月頃に塾をやめさせてくれと母に告げました。
母は少し戸惑いながらも、夏期講習だけは通い秋学期始まるタイミングでならキリがいいのでやめてよいと了承し、目標ができた私は少し気が軽くなりました。
しかし、連日朝から夕方まで勉強する夏期講習に耐えらなかった私は、理科の小テストでカンニングをしてしまいました。最初はばれずにうまくいったものの、今まで全然できていなかったのに急に小テストで満点を連発したのが怪しまれたのか数回目のカンニングでばれて先生に説教を受けました。ばれたその日は母親が呼び出され昼前に塾を後にし、母と一緒に帰宅しました。

その帰り道で「なんでもっと早く辞めたいって言わなかったの」と叱られました。
教育熱心で難関中学へ進学することを願っていた母親に塾をやめたいと伝えることはとても勇気がいることでした。兄が中学受験に失敗していたので、弟(私)こそは中学受験を成功させたいと期待されていたのは子供ながらに感じていました。その期待を感じながらも、勉強がつらくて決死の思いでだしたSOSを、言ったことすら忘れ去られるほどのものだと、一時的なわがままだとみなされていたとは。
おそらく、この時初めて失望というものを感じ、自分は母親にとって大切な存在ではないのではないかと疑問をいだいきました。

⑤ 初めての希死念慮

同じ夏、当時好きだった女の子と夏祭りに行きました。
父が運転する車に乗って夏祭りへ向かい浴衣姿の好きな子と合流、フランクフルトやかき氷を食べたり、輪投げや金魚すくいを楽しみ、とても素敵な時間を過ごしました。それを見て息子よりテンションが上がってしまった父は、金魚すくいで取れた金魚を飼うための水槽を買いに行こうと帰り道にペットショップへ行き、たかが金魚数匹を買うには大きすぎる60インチほどの水槽を、私や母の制止を無視して買いました。
自分のせいで余計な買い物してしまったことを申し訳なくおもいつつ、ベッドで横になっていると、ゆっくりと音を立てず母親が寝室に入ってきて、二段ベッドの下段にいた私を足で何度も蹴りだしました。
「お前のせいであいつが変なもの買いやがったじゃねえか。余計な事するんじゃねえよ」と恨み言をつぶやきながら、腹や顔に目掛けて何度も蹴りをいれてきました。
私は泣くこともできず丸くなってそれを受け入れ、母の怒りが収まるのを待ちました。満足した母が自分の寝室へ帰っていったあと、シーツにくるまり声を抑えて泣きました。

甘酸っぱい思い出が一転、トラウマになるほど最悪な思い出になりました。

この頃から希死念慮が芽生えたと思います。
希死念慮と言っても2階から落ちて頭ぶつければ楽になれるかなとか、
夏にベランダから屋根に上って1日いたら干からびて楽になれるかなとか、発想が小学4年生らしいかわいいものでした。

⑥ ここまで振り返った感想

本当は小学校卒業までを一つの記事に書ききるつもりが思ったより長くなってしまったのでいったんここできることにします。
推敲に1週間くらいかけて書いた文章がこれとは。
自分の文章力のなさを実感しました。もっと本とか読んだりしないといけませんね。まあ記事にして公開しただけでもよしです。

過去を振り返ってみた感想としては、
人様に伝えるために記憶を思い返しながら言葉にすることで、冷静になってあの頃のことを振り返ることができている気がします。
また、冒頭であげた論文に書かれていた回避性パーソナリティ障害を引き起こすような幼少期の身体的・精神的ネグレクトをばっちりと受けていたのだなと再認識しつつ、
こうやって文字に起こしてみると案外ちっぽけなことじゃないかと思える出来事も多々ありますね。

だけど、傍から見ると大したことのないちっぽけな言動でも、
当事者、特に子供にとっては大きなことなんですよね。

次は小学校卒業か中学校卒業までいけるかな。
駄文にお付き合いいただきありがとうございます。


引用・参考文献

岡田 尊司. 生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書) 朝日新聞出版

Avoidant Personality Disorder versus Social Phobia: The Significance of Childhood Neglect( EiKenaes et al., 2015)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?