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優しさを受け取るだけの余裕。


だれかからもらう優しさを、優しさとして受け取るには、自分の中にも少しだけ余裕が必要だと思う。

余裕がないと、見栄を張って人からの優しさを拒否してしまったり、必要のない遠慮をしてしまったり、優しさを優しさだと思えなかったりする。

だから、人の優しさを優しさとして受け取れるくらいの余裕は、いつだって持っておきたいと思う。


中学1年生の頃。女子校1年目。
女子に囲まれて毎日楽しく生活していたけれど、それはそれで気の遣い合いみたいなところがあった。

小学生でもないからずうずうしさとか自己中心的な考えもなくて、かといってまだ仲も深まりきってないから、相手の懐に入るにも入りきれない。

そんな宙ぶらりんな人間関係を支えていたのが気遣いなんだけれど、多分あの頃は気遣いをこじらせていた。

例えば、お菓子を一つもらう時。
今だったら、「ちょうだい!」なんて言えるけれど、当時は、「あげるよ!」って言われても、「え、いいよいいよ!!」と断っていた。

結局友達が「いや、食べて!」と言って押してくれて、ようやくもらうという流れ。

なんともまどろっこしい。


あとは褒められた時。

素直に褒め言葉を受け取れなくて、「そんなことないって〜!」とか言ってしまうけれど、やっぱり本当なら「ありがとう」と言って喜んで受け取る自分でいたいとも思う。

それから困っていて手を貸してもらった時。

ありがとうが有り余りすぎて、申し訳なくなって、どうしても、手を煩わせてごめん…という気持ちになってしまう。


こんな風に、やっぱり人の優しさをまっすぐありがとうで受け取るのって、案外難しい。

私が余裕って言っているものにはきっと、自己肯定感みたいなものとか、その人なりの気遣いとか優しさとか、いろんなものが含まれている。

そしてこの余裕は、だいたいみんな持っているはずだけれど、時々無くしちゃったりする。

優しさは、見返りを求めたものではないはずだし、優しさをくれる誰かは私に何かを望んでいるわけではないけれど。

でも、せっかく優しさをもらったんだったら、やっぱり笑顔で受け取れる人になりたい。

いや、優しさを優しさとして受け取れるだけの余裕を持った人になる。

#ブログ #日記 #エッセイ #優しさ #10



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