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千代 〜生まれ変わりの魂〜 プロローグ

最初にヒプノセラピーを受けたのは、同じ病気を患った知り合いがセラピストになったばかりで、練習を兼ねたお試しのセッションに誘われた時でした。

ヒプノセラピーというのは、その治療法が考案された当初は、自分が小さい頃に受けたトラウマの解消のため、その原因となる時代に遡り、自身の視点を変えて出来事を受容することで、心の傷を治療する精神的療法の一つです。

治療の過程で、小さい頃よりもさらに過去、生まれる前の記憶を遡る患者が現れ、「前世療法」と言う名前で知られるようになりました。

前世を信じるかどうかは分かれるところですが、小さい頃のトラウマでなく、前世に負った心の傷から今生きている時代に影響を受ける人たちも少なくないようです。

例えば、水害で亡くなった前世のために今世、今生きている自分が小さい頃から水を怖がっていたとか、同様に高いところが嫌いであったり、食べ物の好き嫌いなど、様々に関係していることもあるようでした。

興味半分でセラピーを受けた当時の私は、10年ほども経った今、その体験がこれほど大きな話になるとは思っても見なかったのです。


私が実家に戻り、両親と暮らし始め、それまであまり行ったことのなかった氏神様に行き始め、さらに神社に行くこともなかった私が神棚を設え、初めてそこのお札をいただく気になったのも何かに導かれたとしか言いようがないのです。

私が生まれたその家は、丘陵地帯の続く八王子の中の小さな丘の中腹にあり、周りには現在も自然がたくさんある恵まれた環境にあります。

東京都でありながら、その西の端の東京都最大の面積を誇る八王子は、東京でもなく、また隣の山梨県や神奈川県でもない不思議な風土と歴史を持っています。

盆地であるため、市内をぐるっと囲む台地の麓には、昔からたくさんの泉があり、現在も湧水量は毎分数トンに及ぶところもいくつかあります。
氏神様である小さな神社にも古い湧水があり、毎分2トンもの湧水量を誇ります。
市内に50以上もある湧水の中から8つが選ばれ、市内をぐるっと取り囲むその形から、『八王子湧水ネックレス』と名付けられ、この泉はそのうちの一つとなります。

この神社には宮司さんが不在で、管理はそこから2キロほども離れた別のお稲荷さんが担っていました。
そして、その遠く離れたお稲荷さんが全ての始まりであったのも、その時は全く気がつかずにいたのです。
ただ、そのお稲荷さんは、母方の祖父母の住んでいた家のすぐ近くにあり、実家からは離れているものの、小さい頃から馴染みのあるお稲荷さんであったのでした。
それも、当時はその偶然にびっくりしたものの、それ以上のことは考えてはいませんでした。

実家の氏神様は、今は小さなお社があるだけだが、それでもこの神社は古い縁起のようで、新しく作られた鳥居の脇にポツリと古い灯籠の土台部分だけが置かれ、その裏にはようやく判別できる程度の江戸時代中期の年号が彫り込まれているのが見て取れます。

ご祭神は木花咲耶姫、倉稲魂命、天之七夕姫命、大名持命、少彦命、日本武命。
北条氏照の創建と伝えられているが、詳しいことはわからない。
明神池と伝えられるこの泉の石垣の上に社殿があり、元は近くのお寺が別当として管理していた歴史を目にしたことがありましたが、そのお寺は今はもうありません。

ここ八王子は縄文遺跡が出土していることから、先史以前にすでに人が住み始めていたと思われます。
しかしその遺跡群はさほど大規模はとはいえないので、世田谷など多摩川沿いに走る遺跡群の一部と思っていいのかもしれません。
しかし、中には椚田遺跡と名付けられた市の南にある遺跡のように、縄文中期のものと言わた270ほどの竪穴式住居の集落であっただろうと想像される、国の指定を受けた遺跡もあるのです。

盆地である通り、周囲はさほど高くない山々に囲まれているが、地理的には関東平野の西のヘリ部分に当たり、気候風土が微妙に変わる変わり目になっています。
そのためか、地面のエネルギーも極まる高尾山は霊山と言われ、古くから修験道の山として知られています。

この八王子の歴史を詳しく調べなくてはならなくなったのも、この東京の「多摩」の地が本当は特別な土地であること、そして神代の時代に遡り、この地球創生の謎にまで至って壮大な物語が展開され、私の前に様々な事象が現れたのも、大きな不思議な導きからかもしれないと今、思っています。


今から15年以上前に私は脳腫瘍を患い、長い闘病を余儀なくされた私は、患者数の少ない同じ種類の脳腫瘍を患っている何人かの患者さんと知り合う機会があリました。
そのうちの一人が、元は金融関係にいたが完全に回復したため、これからヒプノセラピストとして再出発するという人でした。
退行催眠の話は知っていたけれど、あまり知識のないまま興味本位でやってもらうことになったのです。
長椅子にリラックスして横になり、目を瞑って誘導された通りのイメージを頭の中に描きつつ、自分の過去へと遡っていきます。
過去のどの地点に戻るかは、最初はわかりません。
イメージの中で、その時の自分を観察し、そこから時間を自由に行き来して、その時代の人生をかいつまんで探っていきます。
それは非常に断片的で脈絡があまりなく、日常のワンシーンを切り取っていく。
自分の年齢はなんとなく分かっても、それがいつの時代のものなのか、どういう環境なのかがあまり把握できないのです。
夢の中を散歩する様な、そんなイメージの中で徐々に自分が10歳くらいの少女で、赤い着物を着て家の庭にいること、今は庭に誰もいないけど家族の様な人がいて山の中のその家で暮らしていることなどが分かってきます。
初めてのことで、イメージの中の自分を自由に動かすことはちょっと難しいものがありましたが、セラピストの声の誘導とともに時間を移動したり、場所を移動したりできる様になります。
人生の様々な場面に移動し、最後はしあわせに家族に囲まれて死んで行きました。

あっという間の様に感じたその初めてのセッションは、お昼過ぎに始めたのに、目が覚めたら既に陽が落ちて部屋は真っ暗になていました。

感想としては、映画を一本見終わった様な軽い疲労感と、そして意外にもハッキリと目の前に映像が現れることにびっくりして、その不思議な感覚は説明のしようがない様に感じました。
そして、そのことはだいぶ長いこと、つい最近までほとんど忘れていました。
氏神さんのお札をもらいに、遠くにあるお稲荷さんに行くまでは。

その日、氏神様のお札をもらいに懐かしい祖父母の思い出のある街に足を踏み入れました。

そう、この角を曲がったら床屋さんがあって、この先にお豆腐屋さんと、そうそうこの銭湯。
まだ、元気に営業しているのだなあ、と思いながら懐かしく小さい頃を思い出していました。
そして、お稲荷さんの前にたどり着き、改めてこの神社の名前が彫ってある大きな石柱を見て私はびっくりしました。

今まで、「おいなりさん」としか言っていませんでしたので、その名前を全く気にしていなかったのです。
その名は「産千代稲荷」(うぶちよいなり)でした。
「さんちよ」なのか「いくちよ」なのか、難しい読みでしたので、なんと読むかがわからずに後で検索して読みを見つけました。

その時、だいぶ前に受けたヒプノセラピーのことを思い出しました。
その時に戻った過去生の女の子の名前が「ちよ」だったのです。
「ちよ」が生まれる稲荷。
こんな偶然があるんだと、その時はびっくりしただけでしたが、後にわかることですが、それは決して偶然ではなかったのです。
そして、私のたどる長い道のりは始まったのでした。
これから、その過去生から分かったこと、歴史のお話、そしてこれからの地球に住む私たちのお話を少しずつしていきたいと思います。



















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