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正義と自由と侵害と

 最近この話題が頭を占めていて、ツイートするのには少し長いのでnoteにしている。世に放出した情報は頭から消えていってうれしい。ねむい。このnoteは無知が書いているせいで正義論ではない。

 君たちは正義とはなにかいえますか?絶対的な正義なんて存在しないことはみなさん周知のとおりだと思う。統一の正義は1:1の関係には存在しないし、帰納的に多数対多数の社会にはいわゆる正義なんて存在するわけがない。

 じゃあ正義って何?と聞かれたら僕は、正義とは各個々人の主義主張意志目標だと考える。
 だから、ぼくはいきなり歩いてる人に殴られても、「ああこれがこの人の正義か」と思うわけだ。すべての人は自分の自由意思にのっとって行動している限り正しいし、突き進むべきだ。正しさは自分の中にあって、他の肉塊の中なんかにはない。

 では、ぼくは目の前で人が殺されていても、それを糾弾出来ないのだろうか。糾弾できないんだったらそれは悲しい。答えは、おそらくできる。その行為を正義としては認めるが、僕がそれを糾弾するという自分の正義を貫くこともまた正義だからだ。僕は人間の自由意思を信奉しておりそれを正義と呼んでいる。
 
 不正義とは人の正義を侵害することである。人間の自由意思を損害するやつはくそくらえだ。さてでは、人の正義を侵害するという正義は果たして正義か。①人間の自由意思はいつでも正義である。②人間の自由意思を侵害するのは不正義である。パラドックスなのである。困った。僕はこいつの正義を侵害することはできずに、ただこいつを正義と認め、俺の正義と戦わせたり無視したりしないといけない。つまりみんな正しくてみんなくそくらえってこと。
 
 ところで、人間は自然権を持ち、それを国家に受託しいくらかの制限を受けながら(見かけ上)(現代日本の中間以上の層は)穏便に暮らしている。国家は各個人の正義を完全には請け負わない。秩序を請け負う。最悪だ。ではなぜ戦争が、侵略が起こったのであろうか。最悪だ。やはり統一統治機関がいないせいである。最悪だ。世界政府の樹立が望まれる。天竜人はしね。おやすみ。

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