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#どーゆーなりゆきで建築に

 こんにちは。文系出身の駄菓子屋系建築士のDJしろなまずです。今回は、ナミ構造設計さんが企画した #どーゆーなりゆきで建築に 、に参加してみようと思います。これに参加するのはふさわしくはない経歴ですが(汗)

 私が建築に来たのは、「流されてきた」というのが妥当です。特に建築を目指していたわけでもなく、気がついたらやっていた、という感じです。

①文学部出身

 建築には縁があり祖父が大工で父が建築士でした。ちなみに姉も。しかし器用な一族に産まれながら不器用で、中学時代の怪我で右手がうまく使えなくなったこともあり建築は目指しませんでした。大学は文学部の史学科(東洋史)に進学しました。研究志望ではなく、ただ単に歴史が好きだったからです。

②変な職歴

 新卒で商社に入りましたが、採用した方に気に入られて人事課配属。給与計算とか採用とかやっていました。経営者になって役に立っていますが、当時は嫌でしたね。大阪だったので初めての一人暮らしは楽しかったです。その後パソコンショップ(フリーター)で働いていたときに、父と一緒に事務所をやっていた建築士である姉が結婚することになり、事務所を継ぐ人がいなくなったため、強制的に送還されました。

③建築に来るも

 親も建築として役に立たないことは、感じ取っていたので、とりあえず仕事を取れということで入りました。当時経営的に末期状態になっていたため給与も当初の半分まで減らされ家賃4万のアパートも解約して風呂もない事務所に住み込みで働きました。何にも出来ないので、携帯メモリを全消去し、死ぬ気で頑張りました。意匠、設備など何でもやりました。辛かったのは中高層の説明等でしたね。建築に夢なんてなく現実だということを叩き込みました。

④耐震診断の成功と、構造トレインNZXの大成功

 当時、少しずつ出てきた木造耐震診断に目を付け、事務所の方向性をそちらに切ったところ1年で黒字化を達成。そうなると現金なもので楽しくなってきました。現在も耐震診断を行っているのは、この頃の成功体験でしょう。
 その後、インターネットで構造計算を受発注するシステム「構造トレインNZX」を2年の構想で開始。全員に反対されましたが、予想を上回る大成功。社員を雇える状態にまでなります。この頃、私は意匠設計から構造設計に軸足を移します。

⑤なぜか2級建築士を取得

 運命とは面白い物です。建築士など取るつもりはなかったのですが、部下が落ち続けた1級建築士をなんとか合格させたくて、資格専門学校を紹介。そのとき私は7年の実務経験をクリアしていたので、ついでに2級の講座を受けることに。監視が目的なので、資格専門学校の方も私には特に教育を施さず、伸び伸びやらしてもらえました。製図では腕が動かず苦しみました。最初の2日間は先生に、ずっと線を引き続けることを命じられて泣きたくなりましたが、なんとかストレート合格。部下も合格し今では構造設計1級建築士として独立して活躍しています。結果的に合格させることができて良かったです。

⑥むすび

 というわけで、どこにも夢も希望もない経歴です。ただ私の成功?で周囲の他建築士が自分の息子・娘に建築にいかせる動きが増えました。そんな簡単なものではないのですが(汗)。
 ちなみに父に建築を教わることはほとんどありませんでした。父ができない部分を補うことに終始したからです。父は鉄骨の構造計算が好きでしたが、私はまったくできません。私が木造に強いのは、父が木造できないからです。父が教えるのが下手だったからこそ、私は部下たちに丁寧に教えてきました。その成果の一部が発表しているマニュアル類だったりします。
 その後、この業界で生きていますが、他の方と違って、完全なる兼業で建築にかけている時間は少ないほうです。駄菓子屋とか通販とかやっていますからね。まあ私にはこのような兼業が向いていると思っています。好きなことを仕事にしなかったぶん、楽しもうと思っています。


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