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不貞腐れた自分をみつめた

決まった形にすればいいんでしょ。
投げやりな私が現れるまでに時間はかからなかった。
人は諦めた相手に対しては。歩み寄ることも
理解されるための時間も放棄してしまうものだと思う。
チームを組んでいて 相手が立場が上だなら こっちが折れるしかない。
そこでの議論よりも 作業を進める方に意識を割く
前に進むしかここから解放されることがないことを知っているからだ。

もう考えることを放棄して
能面のように言われた通りに 言葉を書き出した。

読まれる文章でなければ意味がない
だから、人が最も読みやすいパターンで
文章を書けというのだ
タイトルもインパクトを求める。

でも私がやりたいことはそうではない。
数少なくても読んでくれた人のために 言葉を選びたい。
中身がないものじゃなく 何かがつまった文章をここに残したいのだ
時間をかけるな 決まったフォーマットで書けばいい
それは。違っていると思った。

好きなことをして稼げるわけじゃないことは知っている
でも、その中身をただの作業で終わらせるのか
意味を作りながら進めるのかは 本人次第なんじゃないだろうか?

どんな道具も使う人次第で 素晴らしくも 役立たずにもできる。
価値を上げるのも下げるのも 受け取った方なのだとしたら
機械的に作られた文章も意味があるのかもしれない
それでも 関わる一人として 人の血が通ったものを
残したいと思うのは 贅沢なのだろうか?
エゴなのだろうか?

そう きまったかたちにすればいい。
しかし その決まった形に 自分のエネルギーを注ぎ込むという方法を 私が探せばいいのかもしれない

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