ヒューマンデザインから 瀬織津姫を贔屓したくなる心情に納得した

公開タイミングでは ちょっと前になる
これを書いている今は ついさっき思いついたことなんだけど・・・・。

ヒューマンデザインにおけるセンターの色の有無で
妙に納得してしまったことがいくつかあった
そして
「あぁぁ 祓戸四神のなかで 瀬織津姫ばかり贔屓したようになっているのは 仕方ないことなのだな」と
自分の中ではすっぽりと腑に落ちた

何が腑に落ちたかというとだ
水に流すと言う考え方だ。

ヒューマンデザインというチャートを見ると
センターと呼ばれるところに色があるかないかで
そのセンターが意味するところを持っているか持っていないか?みたいなことがわかる

私は よく頭のところにある2つのセンターをみて
同相手に伝えるかのアプローチをかえている。
自分の中にその基準のようなものを持っているか持っていないか?を見ている感じである。
持っていれば、その持っているものに価値観を合わせるように伝えるし
持っていなければ 無理に理解をさせるようには動かない。
相手を知れば相手に合わせた 言葉を選べるからだ

あぁぁ そんなもんなんだ〜と 聞いたこと 見たことに対して 受け入れることができやすい人というのには 細かな説明は要らないじゃない
全部理解できないと納得まで行けない人には 細かく理解できるように伝えることが大事になるじゃない
そういうことなのだ

ヒューマンデザインで 頭のセンター2つが 塗られていない人に対して 私は 流す力が強いと思っている
これに該当する人というのが 全体に対して53%であることから 世の中は 流すということが 多数派であるってことだとおもうのである

瀬織津姫と同関係するん?って話だが
瀬織津姫とは 大祓詞にでてくる 祓の4柱の一番最初に出てくる神様だ
罪穢れを 川に流す役割が瀬織津姫なのだ
汚くなったら川に流せばいいじゃない!
とは言わないが やってることはそういうことだと私は感じている
流す人間がいないと困ることもわかるが
何かそこで処理して流すわけではなく
問題は次へスライドさせる・・・。
祓戸四神の三柱目までは パスして終了なのである
なので 私は 祓戸四神の中では 最後の処理係になる神様を一番尊敬している。

そこで解決するのではなく できる人に送って処理してもらう
それは 物事の道理なのかも知れない
それは 人の思考の多数派は流すことが得意であるからなのだと私は思う
少数派は それをみて おい!と思うことも多いのだが

あぁぁ そういうことかと 納得したのである
自分と似たところがあると 一気に近い存在に感じる
多数派というものは より自分が特別でありたいのかもしれない。
そういう意味でも 瀬織津姫は 大祓詞にしか出てこない秘められた神様であることに憧れがあるのかもしれない
秘められた重要な神が 罪穢れを川に流す
それは 共感したくなる要素なのかもしれない。

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