カッコつきの
前に進むためにはある程度の苦労が必要になりそうだが、それは果たして苦労や、あえてこの言葉を提示するなら「努力」なのだろうか。
わたしは「努力」というマッチョイズム全開な言葉が苦手であるし、言葉だけでなくその営為じたいも苦手であったりする。
「努力」が好きでやっている人はいるのだろうか?
カッコつきの「努力」はあえて、特別と違和感をもっていただきたいからこのように表現している。
したくないのにする「努力」は無理が生じ、それが歪みとなって自分の
〝精神の自由〟が蝕まれていく。
苦労や「努力」などの、苦しみを伴わないかたちで前に進む方法はないものだろうか。
匍匐前進だろうが、どんなに小さな一歩だろうが、ペースがゆっくりであっても、進んでいればそれで十分なのだ。
そうした、簡単に「ポジティブシンキング」という言葉で片づけられない、葛藤を含んだ思考のもっていき方を、わたしたちはしていけたらいいのかもしれない。