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空っぽの部屋 1

人生というものを思い浮かべる時、それぞれに固有のイメージがあると思う。底なしの真っ暗な穴。ライオンの頭に蛇の尻尾がついた雄々しい生き物。指の先ほどの小さな箱庭。

美穂が人生というものについて考える時、そのイメージはいつからか、主人のいない空っぽの部屋になった。窓の外、遠くに海が見える小さな部屋。はじめから空っぽだったわけではなくて、そこかしこに生活の名残がある。

本格的に学校に通うことができなくなったのは、いつ頃からだったろうか。この町に帰ってきた頃、しばらく頭に霞がかかったように始終ぼんやりしていて、それ以来、昔のことを思い出すのが大変になってしまった。やっと思い出せたとしてもそれはなんだか知らない誰かの思い出話のように感じられて、感情や手触りがすっかり抜け落ちてしまっているから、人からもし「こうだったよね」と言われると、多分簡単に信じてしまうだろう。

美穂は空っぽにした母の部屋の真ん中で、さっきからじっと座って窓の外を見ている。遠くに海。耳鳴りがするくらい静かなのか、耳鳴りのし過ぎで何も聞こえないのか、いまいちよくわからない。

学校に行けなくなったきっかけはなんだったかな。チクリ魔とか偽善者とか、自分の性格についてかげ口を言われるのは慣れていたし、自分自身でもそう思うから大したことは無かった。こたえたのは中学生になって、別の小学校から上がってきた不良みたいな連中の、根も葉も無い、聴くに耐えない下品な中傷だ。それでも半年頑張って学校には通ったけれど、ある朝腹痛で動けなくなって、「別にいいや」と緊張の糸が切れた。

私を中傷した彼女たちがその後どうなったかは知らない。でもなんとなく、私よりはマシな人生を送っているんじゃないかと思う。

学校に行かなくなってからは、糸の切れた凧みたいだった。昼夜逆転、無気力、元気になったら昔のバラエティで見た頭に落ちてくるタライみたいに、死にたい気持ちがバインと頭を打つ。バランスを失ってくるくると回りながら、風に吹かれてここまで生きてきた。

美穂が初めて空っぽの部屋を見たのは、専門学校を卒業した21歳の時だった。今座っている部屋の、隣の部屋だ。通信制でプログラミングを学べる高校を選んで、福岡の会社に就職が決まったのは幸運だった。机や本棚を新しく買い揃えるお金がなくて実家から持っていくことにしたから、合わせて片付けてしまおうと、母と二人できれいさっぱり片付けた。

狭い狭いと思っていた部屋は何もなくなってみたら案外広くて、ああ、もうここは私の部屋じゃなくなったんだなと思って、涙が出た。

21歳の美穂はその晩こっそり空っぽの部屋に毛布を持ち込んで、硬いフローリングのうえで丸まって眠って、体中痛くてバキバキの身体で、鳴海ニュータウンを去ったのだった。

それから再びこの町に戻ってくるまでの福岡での8年間は、美穂にとって大事な時間になった。そのために残りの一生を生きていけるくらいの。思い返してみれば、誰にだってそういう時間はあるだろう。私たちはいつだって、未来のために生きるふりをしながら、その実、過去のことばかり考えながら過ごしているんだから。

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