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眠れぬ夏のある日の日記を今公開する

下書きを書いては保留にするというのを何回かやっていて
今日久しぶりに見たらわりとピュアに思いを綴った痕跡があったので
2020年の夏のとある日の日記のようなものですが、今更公開しますね。


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眠れない日が続く。
夜寝るのが怖くて、明るくなってから寝てる。
でもいつもせかせか忙しい夢を見て、とても疲れる。
起きると、脳が渇いてる感じがする。

大切なものが有限だったり、今は心地いいと思うものがそう思えなくなる時が来ちゃうかもしれないとか思うと、とっても悲しく、半径3mぐらいのでかい球体の形をした孤独にがっぽり包まれてるような感じがする。

そしてこの文の続きを書いている今は、少しだけ元気。
でも胸がつかえる感じはあって、ペパーミントオイルを胸のあたりに少し塗ってスースーさせてるところ。

雨季がとっても長いからいろんなものにカビが生えてきてる。
戸を外した押入れをデスクにしてるんだけど、湿気とりタンクのようなものを置いてるからわりと大丈夫ではある。

ただ、今ちょっと筆洗のほうに目をやったら、なぜか太めの竹ペンだけがカビてた。ずっと使ってないから湿ってたわけじゃないのにな。一緒に立ててある筆や刷毛は全然カビてない。

そんなことはどうでもよくて、もともとこの文を書こうとしたのは、おセンチなときにだけ感じとっていることがあるから、それを記録したくってだった。

気持ちが落ち込むだけではなくて、多くのことに神経質になるようになってしまった。
湿気、カビ、ダニ、家に入ってくる虫やアマガエル(嫌いではないんだけど、そわそわしちゃう)、埃、蜘蛛の巣、蜘蛛が食べた死骸のようなもの、
鏡の汚れ…

都会よりもずっと静かなところにいるのに、気になることは倍以上に増えたかもしれない。
リラックスできてる時間もある。でも夜になると、静かなぶん、自分の頭の中の音も、それ以外の音も存在感を増していく。

だからやっぱり、一人では暮らしていけないんだと実感する。

ここ4日間、5ヶ月ぶりに一人で過ごしている。

一人では生きていけない。

4年前に都心で一人暮らしをはじめたときは、一人暮らしというのは当然のことだと思ってて、特に疑問ももたなかったし、けっこう乗り気だった。

でも私は6人家族の団地育ちなのだ。

部屋は、2人いる姉のうち一人とずっと一緒だったし、ドアじゃなくてカーテンで仕切られたスペースが多い家だったから、空間がつながってる感じがあった。

自分以外誰もいない、という日はめずらしかったし、祖母と母が教えている声楽とピアノのレッスンで人の出入りも多かった。おまけにレッスンをするリビングの部屋は防音室ではなかったので、常に音が聞こえている状態だった。

そんな私が、誰もいない空間で一人で暮らしを続けられるほうがおかしいではないか。

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文はここで終わっているけど、こうして残しておくだけでもその時のうっすらと沈みかけた微妙な状態が思い返されるので、
日々、ふつう、まあまあ、悪い、みたいな簡単な記録をカレンダーに残す一方で、やはり文章でその時の感情の質感を残しておくというのは続けていくべきだと思った。



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