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「ムニキスル 03」 公演感想

昨日、京都MEDIA SHOPのパフォーマンスを拝見いただきました。
一番前の間近な席で拝見させていただき、圧巻のパフォーマンスでした。
初めは人がこれほどまでに解放されるのかという力強さと恐ろしさに驚嘆していましたが、その力や叫び、動きの元となるエネルギーや感情は誰しもが持つものなのではないかとも感じました。それを解放しているQUICKさんが、人の形を超えた一つのエネルギー体というか、動く生の彫刻作品のようにも見え、声や息遣いからの音の臨場感も相まって、MEDIA SHOPという限られた空間にいることを忘れてしまい、無の空間の中で、一つの力強い塊と対峙しているような感覚でした。
刺激的な体感経験をありがとうございました。
(30代 男性 アートキュレーター)


今日はMuDAさんのパフォーマンスを見てきました。
簡潔に言えば「凄い」のひとこと。
見終わったあとも、「はぁ、すごいわぁ」を連発していた私。
内容についてはこれから見に行く方もいるだろうし、言葉にしたところで伝わらないだろうし、そもそもそんなことは野暮だと思うので書きませんが、私個人の感想を少々。(と言いつつ、いつも長文になるのはお愛想)
最初に感じたのは「恐怖」。パフォーマンスが始まると、いつも優しい顔のクイックさん(お父さん)が豹変。大音量とともに、激しい動き。私は終始、全身の筋肉がこわばり、瞳孔が開きっぱなしでした。自然と三角座りになって膝を抱え込んでいました。素直に「怖い」と感じました。幽霊やおばけなどがいると信じて疑わなかった幼少期に、そうした得体の知れないものがいるかもしれないと思った時の恐怖を思い出しました。そうした幼い時の自分に戻ったような感覚でした。
その恐怖がなんなのかと考えれば、それは人間がこうも理性を飛ばせるものなのかという感覚から来ているように思いました。クイックさんの舞踏は、私のこれまでの踊りという概念をはるかに超えていて、この表現が合っているのか分かりませんが、原始的、本能的、と言うようなものでした。そうした舞踏を見ていると、普段自分たちが表に出すことを無意識に抑え込んでいるものを表現しているように思えました。そうした自分の中にあるかもしれないものを、クイックさんが目の前で現している。しかもそれは社会的には外に出してはいけないもの。見てはいけないもの。それを見ているという恐怖なのかもしれません。
でもパフォーマンスが後半に移るにつれ、私の感情も変わってきました。クイックさんがうずくまってマイクにむかって叫び、後ろ向きに立ち上がって叫ぶ姿を見ているうちに、涙が流れてきました。まったく泣くつもりなんてなかったのに、気がつけばほほに涙が伝うほどに泣いていました。
叫ぶクイックさんは怒りや悲しみを吐き出しているように見えました。最初はクイックさん個人のこれまでの人生における悲しみや怒りのように感じたのですが、途中からそうじゃなくて、人間の醜さや業(ごう)、原罪といったものに対する、どうしようもない怒りや悲しみ。そうしたものをクイックさんはその身体に一心に受け止め、私たちの代わりに表現してくれているように思えました。そう思うと、クイックさんが愛しくなり、抱きしめたくなりました(笑)。
全体を通して、クイックさんの特異な舞踏は何も特別なものではなく(クイックさんの舞踏自体はもちろん特別です。それとは違う意味で)、人間誰しもが内に秘めているものなんじゃないかなと思いました。クイックさんがそれを表現してくれている。そんな感じがしました。
パフォーマンスが終わったクイックさんを目の前にするとまた涙が出てきました。そして、実際に本人を目の前にしたら抱きしめるなんてできないだろうなぁと思っていたのに、自然とハグしてしまっていました。そこにはいつもの腰の低い温和な優しい笑顔のクイックさんがいました。
素晴らしい体験をありがとうございました。日曜日も京都であります。空席はまだあるのかな?分からないので気になる方は連絡してみてください。クリスマスには高知でも。
今回に限らず、また機会があればぜひ見てほしいです。気になる方はこちらから動画も見てみてくださいhttps://www.youtube.com/channel/UCzqnx2FBGe2F3vxQigDjRWQ
(30代 男性 保育師)


ポジティブな気合いに満ちた、すんばらしいパフォーマンスでした。全身の筋肉が喜んでましたね。あの感じで整体受けたいと思いました。
(50代 女性 ライター)


なんだか、とても元気になったというか、コロナの間もずっといろんな工夫をされてクリエイションされていたんだなと思って感動したというか。QUICKさんにもどうぞよろしくお伝えください。今日、明日も、怪我のないようにがんばってくださいね!
(50代 女性 アートコーティネーター)


本日の公演、感無量でした。 素晴らしかったです。 観れてよかったです。 この度はご案内、ありがとうございました。
(30代 女性 ダンサー)


スババババババ、素晴らしかった!!MuDAのふたりの才能が、より研磨されて魂と肉体ぶち破りスパークル!で、ほんと、すごかったんじゃ。ほんで、感想を書き留めたくなったので、かいてみた。(とにかく感想を実直にかく、伝えるって自分のことばの表現を、鍛えることと繋がると思うねん。)
宇宙人が、人類を浄化するとゆうテーマを解析し、パフォーマンス化したら『こうなりました』といった現場に遭遇したような感じ。日常で、おそらく出会ってしまったら、超トラウマ級のHyperな人類を、舞台とゆう安全装置で、目撃する。(やばばばばばっ!)
この声は 雄叫びは その 畏怖は
全て 全て 全ての 人が ほんとは共有してるものだ。地球の深部に、人類の身体にたまってる、まっくら闇!!
臓器と宇宙が交互にひとつの身体の表現に浮かび上がっては、ブラックホールの底に、たたきつけられる。これでもかっ とゆうほど とにかく叩きつけられた、その声につつまれる。不思議と怖くはなく、[ 安心 ]と繋がってゆくのは、パフォーマーのQuickさんが『絶対に、大丈夫だ!』とゆう愛のもとから、1ミリも揺らがないからなんだろう。(あとから聞いたら、こどもとか、観てたら寝ちゃうらしいよ。)ミニマルで壮大な浄化。あと、衣装や流れ、とにかくシンプルだけど絶妙なセンスがあって、瞬間、瞬間、映画のようでもあった。背後にいる、ミュージシャンのニュートラルさも、なんだか絶妙によくて、マッドサイエンティストみたいにも、みえた。『宇宙の愛は、すごく冷たい』とゆうことばに近年、なるほど、と思ってて、なんだか、そこに通じるものも感じた。(俯瞰と客観と、淡々と情を抜いて只、地に足をつけ行う感じ。)
頭の中で『コンタクト』とゆう、人類と地球外生命体がコンタクトをとる映画を時々思い出しながら、あの宇宙生命体の存在のナゾと、通じる何かがある気がするな〜 って思った。
(30代 女性 イラストレーター・ダンサー)


昨日、比叡山の麓の山を登ってきました。 山中(標高約400m)は、とても静かで、たまに鳥の声、木々が揺れる音、川の流れる音。そんな澄んだ空気の中、突然「ピーポーピーポー」と街の方から救急車の音が山まで聞こえてきました。
大きな音だなぁと思いました。 そんな山の中まで聞こえるほどの音が必要なんだなぁと思いました。 大変だなぁと思いました。。。いや、そんな大きな音を出さないと気づかないくらい街の中は、うるさいってことかもしれない。
下山し、街を歩くとたくさんの人が住んでいるし、車の音や何かしらの機械の音、とにかく賑やかで、とにかくノイジーで情報量の多い世界がありました。 確かに街はとても便利で、生きていく上で十分なくらい溢れている。。 山に行けばとてもシンプルで、生きるか死ぬか。それだけだなぁと。 だから僕は山が好きなのかもしれない。 なんかこの山を登っている時に先日のMuDAのパフォーマンスを思い出しました。
はっきりわからないけど、僕はそこと繋がりました。 パフォーマンスの第一印象は「怖い」です。ノイジーで刺さる音、白目をむく顔、突如痺れ出す身体。 でも、「恐怖を与えられているわけではない」ということは感じました。 そこには理由があるだろうし、そのようになった過程を想像すると面白いなぁと思いました。 至ってシンプルな構成で、そこで起こっていることだけで出来ている。 必要以上に要素は無い。生きるか死ぬかとも繋がりました。 ラストシーンも寝て丸まってあのまま、死んで逝っても自然な気がしました。本当に良かったです。次の公演もあるかと思いますが、ひとまずお疲れ様でした!!!
みんな健康に楽日を迎え、終えれること祈っております。
(30代 男性 美術家)



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