(23) 紙の本と映画館と深夜ラジオと犬とカレーが好き。

(23) 紙の本と映画館と深夜ラジオと犬とカレーが好き。

最近の記事

わたし

私がいいの 私でいいの 雨の音はなんだか落ち着くって でも洗濯物が干せないねって笑って言うの 正しさを優しさで包み込める人になりたくて 愚かさを強さで受け止められる人が羨ましい こんなのかすり傷だよって泣きそうになる君の背中を撫でられないのはどうして 伸ばした手が誰にも届かず仕方ないねって言いながら微笑む人を守りたいの 私がいいの 私でいいの 誰かになりたくて でもその誰かはずっと見つからなくて だから今は私でいいの 面倒くさいから 自由に彷徨う野良猫たちは リー

    • つねひごろ.2

      お久しぶりの投稿となってしまいました。 ぼーっと何も気づかず、もしくは気づかないふりをして生きることは容易く、自分に言い訳をして守りに入ってしまう日々はもったいない、と最近思います。 積極的に、必死に、当事者意識を持って毎日を過ごしてみよう、が今の目標です。 ある小説から感化されました。 私はかなり影響を受けやすい人間です。 さて、今回も「ん〜面倒くさいな、みんなはどう思ってるのだろう」と思うことをつらつらと書いていきます。 稚拙な文章ですが、少しでも共感だったり意

      • つねひごろ.1

        生活している中で、ふと疑問に思うことや、ふふっと笑ってしまうこと、不安に思うことなど、あらゆるモノごとについて自分なりに噛み砕いていけるよう文章にしてみます。 そうです、ただの独り言です。 ________________________________ 「気持ち悪いところないですか?」 長年疑問に思うこの台詞について、改めてちょっと考えてみようと思う。 1ヶ月ぶりの美容院。 カットとカラーとトリートメントまでしてもらって、リフレッシュ日。 やっぱり、人に手入れをし

        • 一年前の今頃

          朝の通勤電車でスーツ姿の女性を見た。 ドア横に立ち、なんだか緊張した面持ちで、スマートフォンを凝視している。 今日から社会人なのかな、と想像を膨らませる。 小学生から中学生、中学生から高校生、高校生から大学生といくつかの分岐点を乗り越えてきたけれど、大学生から社会人への山は、これまでとは比べ物にならないくらい高かったように思う。 一年前の今頃、学生を卒業して、社会人の仲間入りをした。 社会人という言葉の中には、責任感、という言葉が広い範囲で内在している。 理不尽な

          ああ、焦がれる

          憧れの人、尊敬する人は?という質問に わたしは「母親です」と答えていた。 母のことは大好きだし、人として尊敬しているというのも本当だが、答えとしては正直つまらないかも、とずっと思っていた。 その人を真似たい、もはやその人になりたい、と思われる人間ってどのような人だろう。 SNSを見て、考えて、周りの人を眺めて、考えて、目を瞑って、考えて、、、 あ、この人みたいになりたいかも、と思い浮かぶ人が現れた。 身近すぎる人だと、もちろん良い部分の方が多いことは分かっているが、

          ああ、焦がれる

          天気や季節によって、雲の流れる速さが変動するように。 環境の変化によって、気持ちの芯がブレてしまうように。 日々、生きるってこういうことだな、と 全てを知ったかのように悟ったフリをする。 会社を辞めた。 新卒で入り、たった7ヶ月で。 たった、というのは、あくまでも世間から見た数字として考えたら、前につく言葉として妥当だと思いつけているだけであって、私からしたら、7ヶ月も、と言いたくなる。 何がしたいんだ、自分は。 みんなは、何のために生きているんだろう。 どんな目標

          本が好きであるからこその不都合

          私は本が好きだ。それも小説が好き。 言葉が紡がれているだけなのに、見たこともない新しい場所へと連れて行ってくれる小説が好き。 なぜ、本を読むことに、こんなにも恋焦がれているのだろう。ふと、考えてしまう。 人に話せるような趣味もなければ、何かにのめり込むこともなく、何に対して興味を持っているのか自分でもよく分からない人生を、私は送っている。 小さい頃から変わらず好きなものは、と考えたときに1番に浮かんだものが本であった。 小学生の頃から、就寝前は本を読むことが習慣で 学

          本が好きであるからこその不都合

          無知

          社会人になって、もうすぐ2ヶ月が経とうとしている。 少しは成長できているのか、大人に近づいているのか。 毎日、自分を見ているから、その変化になかなか気づかない。 なんてことない平凡な毎日を繰り返して繰り返して、その中には確かに、喜びや楽しみや期待もあるけれど、それらは仕方なくついてきたもののように感じることもある。 喜びたちの感情が中心にものごとが進んでいるのではなく、平凡の中の小さな部屋に、それらはぽつんと置いてあるような。 決して病んでいるわけでも、嘆いているわけ

          無知

          柔らかい人になりたい。 便利な世の中になった反面、他人という存在があまりにも近くにありすぎて、比べては胸がきゅーっと苦しくなったりもする。 あの人はなんであんなにも輝かしい日々を送っているのだろう、この人はなんでこんなにも毎日が楽しそうなのだろう。 あの人、この人って本当は興味なんてないのにね。 目にとまるたった一部の情報だけを、全部だと信じ込んで、それに比べて私は、なんて卑下したりもする。 人との比べっこなんて、くだらないよ。 誰もが誰かになりたくてなれなくて、

          今までみんなと手を繋いで、同じ学校へ行って 同じことを学んで、同じように遊んで、同じような場所へ帰っていた。 それが当たり前で、楽しいな、嬉しいな、悲しいな、そんな感情もすべて共有していたように思う。 いつしか、繋いでいた手は緩んでいき、気がつくと離れていた。 みんなどこへ行ってしまうのだろう、答えなんてきっとないのに、そこに存在する何かの元へ必死になって手を伸ばす。 似たような環境で、頭を使って、体を使って、毎日を楽しく生きてきたつもりだったけれど 感情を自分の中で