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人はなぜ、自分軸からズレるのか?


ここ最近、意図してすべてのSNSから離れています。


先日、わたしが今までずっと追い求め、確信を得たかったことへの気づきを腑に落とすことができたこともあり、なお一層そのようにしております。もうしばらくは、今のままのクリアーな、純度の高い心でありたいという想いからです。


おかげで内観する時間がいつもにも増し、気づきを得るタイミングが次々にやってくる。ここに書きたいことも、湯水のように溢れてきている。(それをもれなくここに記せていないことが残念)


そんな生活をしている中で殊更思うのは、自分と繋がることの大切さです。


本来わたしたちがまずベースとして重要視することは、実はここにあります。それが完成した上で他人と繋がり、情報と繋がることが大切であり、それが曖昧なままで無意識に外の情報や人と接触していれば、どうしても自分にブレや迷いが生じることになります。


ここが勘違いしやすいところなのですが、ブレやすいのは、自分の性格のせいではありません。これは単なる思い込みに過ぎない。まず、このことに気がつく必要があります。


じゃあ何のせいかというと、

自分がブレるその原因は、


第一に、自分の世界に他人を入れているからです。
第二に、自分が自分と繋がっていないからです。


それが単独であっても条件として存在すると、人はたちまち本来の自分から外れます。厄介なのは、それが長年の癖となっていて、そこに何の疑問も抱いていないこと。それが当たり前のこととして無意識下で行われているため、ブレることすらやむなきことだ、自分はこういう性格なのだからと捉えることです。


このような人がネットに夢中になれば、延々とそこに時間を費やして、あれやこれやと考えを巡らせることになるでしょう。他人と話をすれば、その人の意見をまるっと自分のものとして取り込むことになるでしょう。違う人の意見を訊けばそれに左右され、自分の考えがそのたび右往左往したり。または人の行動を羨み、自分との差を感じて卑屈になることもあるでしょう。


それはネットやSNSに原因があるわけでもなく、話しをする人に原因があるわけでもない。自分の世界に他人を侵入させ、自分の心が自分としっかり繋がっていないことが、すべての原因なのです。


ここまで随分偉そうに書いていますが、実はわたしも時折、そうなってしまうことがあります。
とはいえ自分のベースが確立していることには自信があるので、多少ブレたとしても復活は容易いし、それに気づくのも早い。


ではわたしがどうやってその方法を確立していったかといえば、ざっくりですが、自分の思考と感情を徹底的に客観視することによります。より正確にいえば、自分の本体は、そっちの視ている側の意識なのだと据えることです。(誰も信じないでしょうが、これは本当のことです)


それにより、都度自分の心を観察し、そこに他人が入り込んでいないかを感じとっていくこと。自分の心が外に向いていないかを見てとること。もしそうであれば、軌道修正を施す。これを逐一やっていくわけです。はっきり言って、めっちゃ地味で地道なことです。誰に褒めてもらえるわけでも察してもらえるわけでもないですしね。


ですがこれを自分で体感し、マスターすると、生きるのがめちゃくちゃシンプルになります。迷うことそのものが少なくなるので、自分の心や時間にも余裕ができ、頭がスッキリしてきます。そのことによる自信もつきます。直感やインスピレーションにも気づきやすくなるでしょう。


もちろんこのスタイルは、1週間や1ヶ月そこらで身につくものではありません。1年でも厳しいくらいです。そして何度もそのことを忘れてしまうのが人間なので、意識して自分に叩き込まなくてはなりません。実際にわたしも、つい最近ようやくそれを腑に落とせたくらいのものです。


だからそのことを思い出させてくれる自分なりのツールを、最初は持った方がよいのだろうと思います。誰かのブログであったり、本であったり。ただしそこで誰を信用して採用するかが非常に大事なことになるため、それすらも自分の心に訊いてみること。他者の評判や知名度に騙されて、自分の違和感を無視しないこと。


今まで述べてきたことはすべて、自分の軸にコンプレックスがある人に向けてであって、そうでない人はこの限りではありません。人がどんな生き方を選ぼうが、どんな思考を採用しようが、それはその人の自由です。かつ、人にはそれぞれ人生の青写真と段階があり、その人がわたしの言っていることの意味を知りたい!と思える段階にいないうちは、こっちが何を言ったところで、その人には何ひとつ浸透していかないのです。


このことについては、別の話にして後述しようと思います。


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