その成功を欲したのは、何のため?
昨日、こんな話を書きました。
多くの人が追い求める成功は幻影であり、成功を追い求める人生には幸福は見つからないという内容。
この内容が説明不足だったので、今日はこれをちょっと補足していこうと思います。
成功を追い求める人生には、真の幸福がついてこない。
これには例外があるということからまず。
どういう例外か?
それは自分を全肯定していて、今の自分が満たされきっており、それゆえ他者や世間にその満たされた想いを還元したいという場合です。それが目的となっている行動には必然的に成功がついてまわるため、結果的にそれが成功を追い求めることになる(他者からそう見られる)という場合のことです。
つまりは【自分が満たされていて、自分を全肯定している】というベースがしっかり確立されている場合が、その例外を生み出す基礎。その上で、他者の喜びのための成功を求めるアクションを起こすのであれば、それは拡大していきます。世間に貢献したい、周りの人々を喜ばせたい、という純粋な想いがそこにあるかどうか。
わたしが前の記事で述べたのは、そういうベースが根底にない場合の話です。
それがどういう状態のことを指すのかといえば、今の自分に何らかの不満や欠乏感があり、それを満たしたいがために成功を求めている状態のこと。
成功を手にすればそれらの不満や欠乏がなくなると思い込み、それらのために富や名声を追い求めることは、幻であると言ったのです。
もちろん現実社会での努力を重ねれば、ある程度のところまでの成功は手に入るでしょう。ところがベースに不満と欠乏がある成功への渇望というのは、どれだけ多くの富を得て目標の達成を重ねても、その満足は決して長くは続かないのです。
それどころか次なるターゲットを設定し、また次の達成へと向かっていくことになります。これは一見、成功へと向かうステップアップのための、涙ぐましい道程であると他者には映ることでしょう。
ところがこれは自分の心の奥にある不満や不足から目を逸らし、目の前の目標に我が身を投じることで、そこから逃避しているだけのことなのです。
そのことについて、一例を挙げます。
例えば家庭内が不和で、家族とはほとんど接触がない。そのことに本当は寂しさを抱えているのに、それを誤魔化そうとして社会的成功を得るための行動に奔走する。または人に言えないような根深いコンプレックスがあり、それをどうにか他者からの賞賛や評価で埋めようと、目に見えてわかりやすい富や地位を求める。
あるいは前の記事で述べた映画【グレイテスト・ショーマン】のように、目の前にある幸せを軽んじ、それを顧みることなく、まだ足りないまだ足りない、という欠乏感に支配されている場合も同様。
こういうことが根底にあった上での成功というのは、いったんは他人からの賞賛や報酬、満足感を得ますが、それで得た快感はすぐに消えて無くなります。そのためにまた同じ気持ちを味わおうと、次なる成功を追い求める。これは一種の麻薬みたいなもの。
これこそがエンドレスゲームであり、幻であると言いたかったのです。
どうでしょうか?
ご自身が今追い求めている成功。
その根底には、何がありますか?
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