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退屈へのビターワーズ

毎日がつまらない、暇だ退屈だと漏らす人は、与えられている環境や事象に対する感度が概ね低い。


当たり前の日常に面白さを見いだそうとする姿勢が弱く、自分以外の誰かや何かに、自分を楽しませてもらおうとしている。


その前提がある限り退屈な人生を送ることになるだろうし、他人にとっても退屈な人間になる。


楽しさ、喜びに受動的な人間は、人にそれらを与えようとするスタンスには立てない。そもそも自分が持ってないものを、人に与えることは不可能。


退屈な日常を変えたいのなら、意識を変えればいいだけのこと。


自分の機嫌は自分でとれ。
自分を楽しませるのは自分。
他人にそれを請うなかれ。


これが無意識にも分かってる人は、他とは違う輝きを持っている。


暇で退屈であるというのは時間にゆとりがあるという意味で豊かなことであるけれど、その時間をどう過ごし、どんな喜びや楽しさを自分に与えるかで、人生は雲泥の差になる。


わたしは暇と退屈を蔑んでいるわけではないし、忙しいことに魅力は感じないし憧れもしない。


忙しさの代わりに自分や自分の大切な存在を犠牲にしているのなら、そんな忙しさは人生の充実には全く値しない。


人生は、自分の時間にいかに楽しい時間を増やすか、どれだけ喜ばしい瞬間を体験できるかにかかっている。


忙しいのなら、楽しさと喜びで忙しくなれ。
暇なら、楽しさと喜びを自分で見つけろ。


そんなことを思った、熱風の今日。
人生の舵を取るのは、いつだって自分だぜ?


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