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都会っ子が人口100名の島に移住するまで #移住レポ #前編

こんにちは!
鹿児島県の離島、「口永良部島(くちのえらぶじま)」に移住したケイです。

前後編の2回に分けて、僕自身と島の紹介をしていきたいと思います。
今回は、僕のプロフィール編です!(えっいらない?)

屋久島の永田岳から。奥にうっすら見えるのが口永良部島です。

プロフィール

  • 名前:ケイ

  • 年齢:1993年生まれ

  • 出身:東京都清瀬市(実家は蕎麦屋)

  • 仕事:プログラマー → 農業学校 → 地域おこし協力隊

  • 好きなこと:体を動かすこと、食べること、物作り。

0〜18歳

近所に農家や酪農家がいるような、東京でも少し田舎な場所で生まれ育ちました。
中学高校と近所の学校に進み、将来はサラリーマンになるものと思いながら、そのまま都内の大学に進学しました。

東京都清瀬市と埼玉県所沢市の県境を流れる柳瀬川(やなせがわ)。桜が見どころの一つ。

19〜22歳(ゲーム作りに没頭)

大学に進学後、たまたま出会った「FEZ」というゲームがきっかけで、ゲーム作りに没頭。
勉強そっちのけで大学を休学してスマホゲームを作り、リリースしました。
しかし、人生を賭してまで作った作品がたった100ダウンロード・・・。
その頃には大学での学習意欲が消えていて、中退を決めました。(ITとは全く関係ない法学部でした)

自作スマホゲーム「Trocco(トロッコ)」
レールを指で引きながら、障害物を鉄砲で壊して進む。

23〜24歳(プログラマー時代)

ゲーム作りの経験を活かして、渋谷のIT企業に就職。2年働きましたが、どうしてもモチベーションが維持できずに退職。将来に悩み、半年間ひきこもり生活をしていました。
その時に出会った「Stardew Valley」という田舎暮らしゲームで、養鶏に興味を持ち、茨城に農業体験をしに行きました。(ゲームに影響されがち)

25〜26歳(農業との出会い)

1週間の体験でしたが、そのままアルバイトとして働くことに。
それから1年半、茨城の農業学校の有機農業職員として働いていました。
都会育ちだった自分には、自然に囲まれた生活がそれはもうあまりにも刺激的で楽しく、1年が経つ頃にはもっと自然あふれる場所に行きたいと思い始めていました。

収穫した大根と自分。今思い返しても最高の1年半でした。

27〜現在(離島へ)

そんなときに東京の池袋で移住相談会があり、初めて屋久島町の地域おこし協力隊を知りました。
当初屋久島は「なんかめっちゃ自然」というイメージ。その時の興味にも合っていて、面白そうだったので応募することにしました。
勤務地はネームバリューのある「屋久島」を希望していましたが、面接直前に裏情報を入手し、倍率が低かった、聞いたこともない「口永良部島」に変更。

そしたらなんか行くことになったんですよ笑(失礼)

屋久島との間を航行する「フェリー太陽」から望む口永良部島

というわけでめでたく口永良部島に移住したケイなんですが、
2022年1月現在で1年半が経ちました。

ま〜〜〜〜〜色々ありましたよ。うん。本当に。
移住後、率直な感想を後編で紹介していきます!


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