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語っているようで、隠している。

茶花教室をはじめて一年が経った。
10回で1クールにしているので、実際は2期目の3回目が始まっている。

次回募集は6月中旬頃から徐々に告知をはじめ、
9月から翌年6月の全10回が第3期生となる。

毎回教室の冒頭は配布資料を順番に声に出して読むところからはじまる。あわせて、その日のテーマに関連する季節のお茶をお出しする。ここでは知識を得るというよりは、リラックスして一息つくことで、場に馴染むための間合いを生みたい。

そうでないと大概の場合、花と集中して向き合う呼吸や姿勢が落ち着かず、実生活を引きずったまま花を手にし、生けようとする。

今回のテーマのために山採りしてくれた
源八さんたちの想いがありがたい。
教室が、一時的に里山になる。

花を生かすも殺すも、その人次第の真剣勝負の場で、荒い呼吸のままでは戦えない。
自分の中のムーブメントを呼び起こす時間。
ここにある草木を早く生けたい!という渇望を、焦らすことで、生み育てるための補足でしかない知識は、生けるときの役にほとんど立たない。

それぞれの花の呼吸を身につけてほしい。

それぞれの真剣勝負が、ようやく始まる。
だいたい、3回パターンをかえて入れてもらう。
花器も花材も変えていくが、それも臨機応変で、前のパターンを崩さず、次はそこに別のものを足したり引いたりも、そこに「形式」はない。

サイズ感やバランス、ひかりの方向、その草木がどうしたら生き生きとするのか。引き立ち合うのか、響きあいの妙なるところを探していく。

あなたの美しさは、あなたのなかに。

そして、最後は放つように、ぱっと生ける。パッと放つのだ。
生けきれるかどうか、投げ入れきれるかどうか。
それは、己しかわからない。

花は無私のこころゆえの厳しさと、果てしないおおらかさに、わがみの小ささや邪さをひしひしと感じる。
それでも恥じてなお生ける。
生け続けることで、知る自分の愚かさこそ最大の学びだと思う。

最終的に20名それぞれが、3回ずつやっても毎月すべて違うカタチになるが、出来上がったカタチは嘘をつく。如何様にも捉えることができる。語っているようで、隠している。

春黄金花と椿

それだから茶花は、やるほどに奥深い。
シンプルがゆえに、難しい。
だからこそ、妙におもしろいのだろう。

野にあるようにとは、まさに良く言ったものだと、つくづく思う。




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