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あなたがいてくれてありがとう

ある場で質問をしたときに、その質問が歓迎されていないように感じたことがあって。出来事と、それに対してわたしがどう感じるかはまた別物。
相手がどうこうでもなく、全部わたしの中に起こっていることで、私がそう捉える、感じることって、全部自分の中にある。

わたしの質問ってなんだろう。
何かあるのかもしれない。そうして感じてみたら、
質問をみつけることで繋がろうとしているわたしがいるのかもしれないなぁと気が付きました。

それは子供の頃のプログラムのようなもの。
ずっとまだあったんだなぁ。
小さい頃は、会話のない家で、父親との会話はもっぱら、算数、理科などの質問を通してのみ。
父と話したい気持ちもあったのかもしれないし、重苦しい沈黙の中に音をつくりたいと思っていたのかもしれない。
だからめちゃめちゃ勉強してました。
どんどん難しい問題にチャレンジしないと疑問に出会えないから。
そうして、、、とうとう父親にはお手上げな問題になり、なんだか後ろめたい気持ちになって。実家に帰省すると、父がわたしのテキストを開いて、うんうん勉強していたのは、彼もわたしの質問に答えることを繋がりとしていたのかもしれない。
(今は父とはナチュラルに会話します。先日は母へのぐち電話がかかってきた笑)


質問をみつけなきゃ。そうして繋がらなきゃ。というわたしがまだいたなら、それはもう大丈夫だよと伝えたい。
痛みからでなく、心ひらくことで繋がれるよって伝えたい。
痛みをごまかさずもちつづけていた、小さなあなたが尊いなぁって感じて、出会えてよかった。

母子草32

借りている畑にもみつけた、ははこぐさ。花言葉はいつも想っています。


いい悪い、正解不正解での世界にいるのは苦しい。
世界は重なっていて多次元的だから。
いい悪い、正解不正解って、絶対的なものでなくて、ここでは正解が、あちらでは不正解になったりもする。
この柔軟性はいつも大切にしたい。
その違いに意識を向け、開いた時に、意識が広がる。
違いを恐れず、それをギフトにできますように。
分離でなく繋がりが生まれますように。多次元的に捉える。
多様性ってそいうことなのかもしれない。

もっとまあるくリラックス。ハートを開いていたい。
子ども達が、息してるかー!大丈夫かー!!!ってぐらいケタケタ笑ってるのが眩しい。

かわりたい。って思いはいつも愛しい。今日もわたしの空間をふりふり。(フリフリはHFのこと)
その願いは、何者かになるでもなく、何者にもなれるわたしでもあって。そうして調和された空間から、わたしに出会いつづけていこう。


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