見出し画像

秘教学

秘教のことを別ブログで時々書いてたけれど、こちらでこれからもっと表現していけたらなぁ。とマガジンにしてみました。秘教にっき。
(秘教学のことはこちら→エソテリック東京


はじめて秘教の世界に触れたのは、アリス自身の自叙伝、「未完の自叙伝」の読書会。

秘教学の学びに入る前に、一人の人間としてのアリスに触れることができたことはすんばらしいギフトでした。読書会という場を超えた何かがずっとあった場。

それから丸2年。あれからコツコツといろんな本を読んできて、きがついたら家にどっさり秘教本。(すこしずつまだ増え中)

秘教学Season2

挫折しないよう。楽しみながら。一人でなく、一緒に学ぶ仲間がいたから続いている。対話という場を通して学んでいるからなのだろうな。
この場を開いてくれている、れいちゃん(中西令子さん)にいつもありがとう!です。

ところで、もうすっかり秘教という言葉に慣れてしまって、もしかしたら初期の頃に感じていた違和感や抵抗感は思い出せない。むしろ、秘教のことを記事にしてみたいなんて思いが湧いてきている。にしても、なぜ、秘教、っていうんだろう。そのまま日本語で解釈すれば、秘密の教えとなる。
でも、本はどこでも手に入るし、なんなら今年からはアマゾンでも購入できるようになった。秘教、esoteric の言葉を調べてみた。

【ウィキペディア(Wikipedia)より】
第1に「秘伝的な」「奥義的な」「選ばれた少数者だけの」 (esoteric) と、第2に「深遠なこと」「難解なこと」との、2通りの意味を有する。

第1の意味はスタートではそうだったのだろうと思う。言葉遊びでないけれど、秘境という言葉もいつも浮かぶ。チベットの人里離れたところから届いているような気持ちになる。実際、ジョワルクール大師は、チベットの高層としての肉体もあったよう。
第2の意味「難解なこと」にはガッテンする。それを楽しそうに表現できたらいいなという願いがこのマガジンにはあります。どんな叡智でもヒカリがあたって誰かに届く願いがあるように思うから。それがこれからますます開かれていく時代のようにも感じるから。

秘教学のどの本にもまず最初に書かれていることが多いという言葉。大切に感じるこの言葉をここに記しておきます。秘教にっきスタートによせて。


主仏陀は言われた

ただそう言われているからといって、ものごとを信じてはならない。
昔から伝わってきたのものだからといって、その言い伝えを信じてはならない。
そのように噂されているからといってその噂を信じてはならない。
聖者が書いたものだからといって、その書を信じてはならない。
デーヴァから与えられたものと思い込んで、その空想を信じてはならない。
でたらめな憶測から引き出した結論に基づいて、また必然的にそう類推されると思われるからといって、あるいは、単に教師や先生の権威を拠りどころにして、信じてはならない。
しかし、自分の理性と意識において確証を得たときには、そのような書、教義、言葉を信じるべきである。
仏陀は最後に次のように言われた。
「そういうわけで、私があなた方に教えたのは、そう聞いたからというだけで、信じてはならいないが、自らの意識で確信したならば、その信念に従って一所懸命に行動せよということである」と。


***********
ハートから輝く。はなのねのサイト
セッション、講座お届けしています。

HPヘッダー


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?