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神代桜 人間はどう映っているだろう

ちょうど2週間前、非常事態宣言が出される直前の隙をついて、山梨県までドライブへ行ってきました。もともと自然が好きな私たちは、主人の山梨の実家のお墓参りとの名目を立てて、自然を求めて人里離れた山の懐の神社やなどを歩いてきました。自然の中で綺麗な空気を吸い、ただ歩くだけで心も体も癒されました。

神代桜(じんだいざくら)は、北杜市実相院の境内にある、エドビガンザクラの老木で、樹齢2000年の天然記念物です。見たこともないほど太い化石のような幹からさらに幹が生え、今も生きて満開の桜を咲かせていました。

ただ単に美しいという言葉では足りない。この状況下で見た神代桜は、何かを人間に訴えているようでした。威厳に満ちた巨木に見下ろされて雷に打たれらような衝撃を受け、私はしばらくその場から動けなくなりました。

その姿はまさに木の神様であり、自然に対する畏怖の念を感じました。2000年も人間を見てきた神様には、現代人はどのように写っているのだろうかと思いました。

「地球は人間だけのものではない。そのことを忘れていないか?」と言われているような気がしました。

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この雄大な自然と、時の流れの中で、「一人ひとりの人間は何を求めて生きているのか」ということを考えるならば、小さな欲望や攻撃や批判、恐れなどに囚われている人間の姿は、どのように見えているのでしょうか。

それから時が過ぎ、さらに私たちは考える時間を今与えられてます。

自分さえ良ければ、という行動はもう通用しない。


コロナという現象を通じて人間は、いい加減にそのことに気づけと、神様から言われているのかもしれない。そのように思えてきました。


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