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「察して」はどこから来たのか?

 私たちが日常生活を送っていく時に、自分がしようと思ったことを、先回りして、してくれていると非常に助かりますし、嬉しくと思います。又、会話においても、同様に、こちらから相手の意向を伺わなければならない時に、相手の方から、こちらが聞いてくるだろうことを見越して、発言していただけると非常に助かります。
 おおよそ、多数の人がこういう感覚をいだくのではないかと思います。ですが、私の経験上は、だいたいこういうことをすると、「察してくれた」ではなく、「気が利くね」という感じでお礼を言われるような気がします。
 相手の意向を聞く前に、相手の意向を想像して、その想像した相手の意向を実行しておくことが「察すること」だと思います。

 近年、仕事やプライベートでいろいろな人間関係を結ぶことがありました。その時に、「察して、XXをして(言って)欲しいんだろうな」と思う場面がありました。そういう場面にたくさん遭遇して、ある時に、疑問が生じました。
 なぜ、自分から「こうして欲しい」ということを言わずに、「察する」ということを求めているのか。
 前者は、相手へのお願いです。ですから、お願いする以上、大げさにいうと頭を下げる、相手に貸しを作るわけです。それが嫌なのか。いや、お願いをしたら、お願いをした以上、そこには責任があるから、その責任を負うことが嫌なのだろうか。又、お願いであり、相手に強制をできるわけではないため、断られることもあります。断られることが怖いのかもしれません。そういったことを考えました。
 後者は、私の気持ちを想像して、私の思っていることをして欲しい、ということです。前者とは、異なり、お願いではありません。いわば、相手との関係に権力勾配がある場合であったり、相手を大事に思うからなされることだと考えました。しかし、ここには、「察することをされる側」には、お願いをしていないわけですから、前者で説明したような責任は生じません。「あなたが勝手にしたんでしょ」と言われてしまうこともあります。

 ビジネスの関係でも、これを使い分けることができますが、信頼関係を構築すること大事に考えるので、きちんと「こういうことをしていただきたい」と「お願い」をするようにしています。当然、「察して」くださることもありますが、それに関しては、気付いた範囲で義理を欠かぬように気をつけています。

 では、この「察してほしい」というのは、どこから来るのか、ふと疑問に思いました。

 最近、子育てをしています。赤ちゃんは、当然、自分では、できることがほとんどありません。赤ちゃんは、お腹がすけば泣き、排泄によってオムツが汚れると泣き、なんでかわからないけど泣く。泣くことばかりです。その泣き声に反応して、私たち夫婦は、赤ちゃんにどのような異変があるのかを考えて対処します。例えば、お腹が空いていて泣いているなら、ミルクをあげ、排泄物でオムツが汚れているなら、オムツを交換する、といった具合です。これを繰り返して気づいたのですが、実は、赤ちゃんの泣き声って「察してくれ!」なんじゃないかと思いました。いや、「赤ちゃんの泣き声は、不快感を表しているSOSだ!」というかもしれませんが、いや、それが「察してよ!」ってサインじゃないのかな、と思ったわけです。
 当然、生後しばらくは、自我形成がされていないので、そんな赤ちゃんには意志がないから、「察してよ!」と言っているのは、無理があります。泣き声を発するのは本能なんでしょうね。しかし、その泣き声を聞いた側からすると「察してよ」に聞こえたという話です。

 こう考えると面白いもので、「察する」は、先程、権力勾配がある場合と書きましたが、権力の強い方が、権力の弱い方に対して、「察する」ことを要求するのです。しかし、赤ちゃんと親という関係の場合は、そうではなく、「相手を大事に思うから」なんだと思います。親としての責任という面もあるかもしれません。

 話は戻りますが、近年、仕事やプライベートでいろんな人間関係を結ぶことがありました。ここで「お願い」と「察する」の使い分けをもろに感じました。正直、「察する」のみを連発する方もいます。しかし、そういう方とは、長期的な信頼関係を築くことは難しく感じました。「察する」が権力勾配によって、成立している場合においては、自分の方が強い権力を持っていると思って、私に対応しているわけですから、あまり気持ちが良くないし、必要がなければ、相手にしなくていいと思いました。
 本当に長期的な信頼関係を気付くのであれば、必要に応じて、自分が発言の責任を持って、相手にお願いをするということが大事だと思います。「察して」のみを連発するのは、赤ちゃんとどう違うのかな、と思います。
 まぁ、ただ、私自身も「察してくれる」ことを通して、相手が自分を大事にしてくれることを感じますし、嬉しいです。そういうことからは、「察する」を完全に否定できません。相手との関係を考慮して、使い分けていきたく思います。
 こんなことを思っていました。

 「察して」の起源は赤ちゃんの泣き声なのかな。

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