「速読芸人」であることの意味

近年、芸人の世界では、ネタ以外に「得意分野」を売りにして世に出てくる売れ方が、一つのスタンダードになっている。
「家電芸人」、「料理芸人」、「歴史芸人」みたいなものから、なんかもっとニッチなものまで様々だ。
これから売れようとする芸人が、ネタ以外に、自分の得意分野を探し「〇〇芸人」と名乗るパターンが、芸人の世界で爆増している。
売れてない芸人的にはこれはとてもありがたい話で、ネタだけでなく、得意分野で売れる可能性もあるのだから、そこに不満や異論は特にない。
しかし、視点を変えて、専門家からの観点で考えた時、この「〇〇芸人」というのは、ある種の保険として作用しているとも言える。例えば「料理芸人」でいうと、「本物の料理人」より料理の腕が足りなかったとしても、「芸人だから」という免罪符で許されているような気がするのだ。
いや、別にそれに関しては何の問題もない。例えば、本物の料理人より料理ができる芸人がいたとしたら、そいつはもう芸人やめて料理人本業でいけよって話だからだ。そうではなくて、芸人ならではの利点を活かし、料理の魅力を面白く伝えることができるからこそ、「料理芸人」には価値があるのだ。
で、まあここから先は自分の話になるのだが、それを踏まえた上で、「速読芸人」というのはどうだろうかと考えてみた。
確かに、「芸人」と入れることによって一つハードルを低くしていることは否めない。例えば、速読の実践をするときに「速読の研究家」なら失敗は許されないが、「速読芸人」なら失敗してもそれが結果「笑い」に変われば、「芸人」としての機能は一応果たしているので許されるような気がする。これは一つのメリットだ。
しかしデメリットもある。それゆえ「所詮『芸人』がやっていることでしょ。」
となってしまうところだ。ハードルを下げているがゆえ、低く見られてしまう。
これは結構難しい問題である。
私は売れてなくても、一応15年位やっている芸人だ。しかし、速読は芸人を志す10年前から25年やっている。芸歴より速読の方が遙かに歴が長い。
色々な事情を考えた上、私は「速読芸人」を名乗ることにした。ハードルが下がっても、速読の魅力を面白く伝えることを優先したからだ。
が、決して売れない芸人が世に出るために名乗った「速読芸人」ではないことだけは、わかってほしいです。それくらい速読が好きなんですよ。

ルサンチマン浅川と申します。