見出し画像

口蓋扁桃摘出術までの理学療法士・フィジカルコーチの7ヶ月間の葛藤と、その中で見えた景色と思考

 先日noteの記事で、2019年12月20日に、両口蓋扁桃摘出術を受けたと投稿しました。今回は、慢性扁桃炎による7ヶ月間の葛藤のなかで、見えた景色と思想を振り返ります。

5月の扁桃炎から手術までの7ヶ月間の心境をまとめています。

自分の意志と反する身体


とにかく動く


 理学療法士・フィジカルコーチ・時にサッカーをして生活をしながら、人として何ができるかと、過去の4年間よりもとにかく動くことを強く意識して、2019年をスタートしました。

また、年内の目標としては、

「国体選手入り」「選手権出場」「合同トレーニングを開催し、チーム外でひとりでも多くの選手が身体に向き合うきっかけをつくる」

という目標を掲げていました。

 新年早々に、帯同チームが県新人戦で優勝し、

画像3

3月から定期的にJARTAの認定トレーナーコースのカリキュラムを受講し始め、過去にないようなスタートを切っていました。

7月には勤めている地域の近隣の学校で講演会の機会を頂いたり、8月には長崎県サッカー協会、対馬市サッカー協会主催のイベントにも講師として行くことができたり

画像2

いろんな方のおかげで、イメージしていたよりも早く、チーム外の選手たちと向き合う場に立つことができました。その後、イベントの繋がりで、長崎県サッカー協会医学委員会での講師の機会をいただくことができました。

しかし、その傍らで、5月から不調が続く生活をしていました。 

 5月に40℃超える高熱を出して以降は、国体最終メンバー発表と、ほぼ同時期の8月に40℃。そして10月に39℃と、計3回の高熱を半年間で繰り返しており、急性扁桃炎、後に慢性扁桃炎と診断されました。

就職してから4年間は90〜100%のコンディションは維持していました。今年5月の高熱は1週間で落ち着き、6月・7月はのどに違和感がありながらも、80〜90%はまだ維持できていました。また、JARTAの身体操作トレーニングやストレッチが習慣化してきて、選手としての動きは、過去1番自分の感覚的に良い状態でした。

しかし、現状維持は衰退との言葉どおり。無難に生活を送り始めた、今年の5月以降は満足行くコンディションではありませんでした。それ以上を求めて動くと体調が崩れていました。

選手や患者さんには、コンディションの変動がある中で、いつもよりパーセンテージが低い状態で接することしかできませんでした。この波のある時期に関わった方には、非常に申し訳なさがありました。

そんな中、お盆までまだ諦めずに国体メンバー入りを目指していたなんて、どうかしてますね。ただ、それがひとつのモチベーションでした。落選して、少しメンタル面もフィジカル面も下降気味になり、扁桃摘出の手術を考え始めました。

 トレーニングと一緒で、ある程度の負荷を与えないと、成長に繋がりません。成長速度が上がることはなく、僕は現状維持がなんとかできるといったところ。先ほど述べたように、現状維持は衰退です。僕はそれをトレーニングでも生活でも身をもって感じました。

扁桃炎による身体の変化

 5月に高熱が出て以降、身体に変化がありました。

【のど、耳の痛み】                                                                  飲み込みが1番きつい。ピーク時は唾を飲み込むのですら覚悟がいるほどで、何もしなくても違和感が常にある。違和感と痛みは、5月からずっと繰り返しでした。腫れがひどいと、時に耳まで痛いこともありました。
【発声時の痛み】【声量は通常の半分程度】                   痛みで話づらい。現場でのトレーニングはどうしても発声が必要な為、翌日以降はのどは腫れました。できることであれば勤務中も会話は避けたいところでしたが、話さなければ仕事になりません。なんとかセーブしてもまた週に1度の現場で発声。伝え方、距離など様々な工夫をしても、腫れるものは腫れました。
【体温の変動が激しい】                                              35〜37℃台を行ったり来たり。最初のうちは、このダルさは微熱がありそうだなと感じれました。そのダルさも、微熱も数ヶ月経つと当たり前になり、慣れが生じていました。
【寒さに敏感】                                                                 夏場にも関わらず、職場ではインナーは長袖を着て、時にジャージも着用しての勤務で、季節外れの男でした。研修時の移動中の電車の冷房もダメでした。
【慢性的な疲労感】                以前は、仕事終わりでも頭は多少疲れていても、身体はそんなに疲れることは、これまでありませんでした。しかし、今年の夏以降、仕事後の倦怠感・疲労感はとてつもなくありました。冷房病かと思ってましたが、犯人は扁桃周囲膿瘍だったようです。
【夜中の呼吸がしにくい】               のどの腫れの具合で、仰向けでは空気の出入りが難しくなりました。その為、選択肢は横向き・うつ伏せでした。おまけに鼻炎持ち。鼻詰まりで口呼吸になっていた日の朝は、のどのコンディションは最悪でした。
【睡眠の質の低下】                呼吸がしにくいと睡眠の質は必然的に下がります。また、痛みで途中覚醒することもしばしば。睡眠時間は7〜8時間確保できているにも関わらず、目覚めが良くない日もありました。
そして何よりも【ストレスが溜まる】        僕の1番のストレス発散方法は、トレーニングをすることですが、そのトレーニングも時間や負荷を間違うと微熱が出る状態。だから、十分な運動ができずにストレスも溜まる。所属する県リーグ1部の試合も降格の危機があり、なんとか調整してセーブしながらプレーする状態でした。これも1つのストレスでした。残留が決まって、サッカーから少し離れ、体調も落ち着きだした感じもあります。

これらの変化によって、身体と意志の間にギャップが生まれ、動きたいのに動けない、やりたいのにやれないという葛藤の日々を過ごしていました。

そんな自身の意志と反する身体を救ってくれたのは  『言葉の力』『読書』『思考』でした。

ストレスの先で出会った新たな思考

 人生でやりたいことを100%でやれないという様々なストレスが重なり、免疫力が落ちた時に、体調を崩すという悪循環に陥っていました。そんな生活で、調子が良い日は、月に10日前後。調子が良いから、様子見ながら動いていると、そのうち体調を崩すのです。

 自分のコンディションを管理できないということも、ストレスになりました。フィジカルコーチでありながら、自分のコンディションが整えられないという、何とも言えない感情と負い目を感じていました。

体調不良なんてあってはならない。そう思って体調管理・食事管理は普通の人よりもしていた自負はありましたが、この負の連鎖から、自分の力では抜け出すことが出来ませんでした。

 もう一つのストレスとして、僕の性格や考え方もあると思います。これまでは、自分にプレッシャーをかけ続けることで、自分を作ってきました。前までは、自分のプレッシャーには対応出来てましたが、体調を崩してからは、自分のプレッシャーですら、ストレスになっていたのです。

幸いにも夏に、いくつかの言葉と出会います。

自分が駄目ではなく,起こった事情と自分を切り離して,自分に優しく話しかけること.
Deep sense of love and longing                          deep sense of I am lovable.                                       いつも幸せな人は,『何があっても自分は愛される資格がある』ことを知っている. 

Dr.Brene Brown ヒューストン大学研究教授.

『言葉のちから』それを導き出した人、それを発信する人、それらが記されている本のおかげで、いつもと違った思考に出会うことができ、葛藤しながらも可能な速度で、動き続けることができました。

同じ時間をどうやって過ごすか

 9月に入った頃、このままの状況で生活していても、時間を無駄にしている。この先も、これが続くことを考えた時、手術に対する怖さはありましたが、10月の段階で、主治医と相談の上、この先のスケジュールを踏まえて、12月に手術をすると決断をしました。

僕が言う時間とは、自分の成長からみた時間です。

そして、僕に関わる人の時間も入ります。

最初に書いたように、以前の僕が100%の状態で接してきた人が、この半年間は40〜85%の波のある僕が接している訳です。そうすると、本来であれば共有出来ていたことが、コンディションのせいで、それができないということが、多々起きてしまっていました。共有する時間の質に差分が出ていた訳です。

ただ、それではいけないと思い、今の自分が取れる手段を選択。身体は思いっきり動かせないけど、頭は動かせると。手術まで期間はあるけど、今から考え方、動き方、取り組み方は変えられる。逆に変えないと衰退すると思い、それまでとは違うやり方で、生活を送るようになりました。

身体を動かすことから、勉強や読書、SNSで頭と手を動かす事に、ウェイトをシフトしていきました。   ただ、そこも無理をすると、体調に多少影響したこともありました。しかし、そのシフトチェンジは自分にとって意味のあるものでした。自分がイメージしていた路線ではありませんでしたが、新たな路線が出来たことはプラスでした。

 本を4年目までに読んだ数以上は読むと決めて、半年で4年間での読書量は上回りました。(4年間の量が少なすぎる)そして、多くの本に僕は助けられ、以前よりも読書が好きになりました。

無知の知。知らないことがあって、それを知れた時の楽しさ。過去の自分が知らなかった事を、今の自分は知ることが出来ると。

もう少し早く気づけていればと思いますが、人には必要な時期に、必要な出来事が起こると。トレーニングの時間が減ったから、他にやれる時間が増えた。何かを選ぶには、何かを捨てなければ行けない時もあります。全て選べれば良いのですが、そんなに器用ではありません。           

 その日のコンディションで、質の良いパフォーマンスを発揮して、対象者に最大限還元できるように、時間を有効に使うこと。その他、伝え方・タイミング・間の取り方・距離感・立ち位置・ハンドリングなど日々行なっている様々なことを見直すことが出来た良い機会でした。

「何故」があるから見えてくるものがある

葛藤しながらも、動き続けることで沢山の学びと、繋がりを得ることができました。

 8月の対馬の講演。それをきっかけに、長崎県サッカー協会医学委員会での講師の場を設けて頂きました。また、新たな刺激を入れるために、Nagasaki Trainer  Club(NTC)に所属したいという気持ちが湧き、実際に所属させていただき、最近では、その中にある体幹班に属して、スポーツ選手の腰痛のプロフェッショナルになるべく、日々研鑽しています。

12月には術前でしたが、N footと題して大学でもサッカーを続ける選手のフィジカル的なサポートをするプロジェクトもスタートしました。

年間通して、JARTAの研修で定期的に関西地方に足を運び、今年の締めには札幌まで行くという、昔では考えられないテンポで決断して進んで行った年でした。

動くことで、いろんな方とも出会えました。札幌では、あの名門の明治大学ラグビートレーナーの真木さん、世界で勝負する赤山さんとも出会えました。

赤山さんとは雪降る寒い中、行列に並びラーメンをご馳走していただき、ビジョンを話したり、質問させて頂いたり、貴重なお話を聞くことができました。以前の僕であれば、あの濃密な時間は生まれていなかったと思います。

この日から、僕のメンターが増えました。

動くことが、様々な人と出会いを生み出し、新たな知見を得ることもでき、特に思考の部分では、今までと違った視点で物事を捉える術を与えてくれました。

とにかく動く』の先にある、"何故、動くのか"                   "どう在りたいか" 、という想いが僕を今ここに運んだのだと思います。その想いの先には、いつも選手がいます。

画像3

時間は、どんな状況でもみんな平等で止まらない。  時間は自分のものでもあれば、相手のものでもある。

選手はどんな指導者に出会うかで、人生が左右されます。

病気をせずに動き続けていれば、どんな景色が見れていたのかは少しは気になります。しかし、自分はひとり。変えれないものに捉われていては、時間が勿体ない。今、自分に何ができるのかを考え、時々修正しながら生きていく。その結果、今ここにいる。

 先ほど簡単に手術に踏み切った話がでましたが、理由を掘り下げると、本来のパフォーマンスを発揮するために、何を排除すれば良いのかと考えた結果、この体調不良の根本である、口蓋扁桃を摘出することでした。

そのまま突き進むことも無理をすればできました。 ただ、60〜90%のパフォーマンスでの半年間、日々をセーブしながら生産性の低い生活をすることは、明らかに燃費が悪い人生だと思いました。後は、単純にきつかったというのもありますが。

トレーニングと同じで100%で過ごせないと、101%がやってこない感覚があります。コツコツ積み重ねれば、やがて大きくなると何かの法則でもあるように、その時期に合わせて、何かを積み重ねる作業は続けることはしていました。ただ、少し体調が良くなって、その時に良いパフォーマンスができても、数日後にはコンディションを崩す。これは短期的なパフォーマンスです。ただ、パフォーマンスを評価するのは対象者であり、自分の評価だけで語れるものではない。

それなら、ずっとコツコツ積み重ねていけばいいじゃないか、と思う方もいるかもしれませんが、それでは成長速度が速まることがなく、そのやり方、そのコンディションでは、僕が描くパフォーマンスは手にできないと思っていました。

サッカーも仕事も短期的なパフォーマンスの向上より、長期的なパフォーマンスの向上が重要。その長期的なパフォーマンスの向上を手にするために、手術を決めました。

そして、この僕自身の長期的なパフォーマンスの向上は、選手たちのパフォーマンスの向上にも繋がると思っています。繋げれるかは自分次第です。

手術が終わったのである程度自分にプレッシャーをかけれます。やっぱり僕はその方が人生楽しいです。

 今年1年、僕のコンディションは大きく変動がありました。そして体重も、年初めにあった73Kgは入院前に70Kg、そして9日間の入院生活で5kgも減少し65kgとなりました。大胸筋も大腿四頭筋も大臀筋も痩せ細って、人間ってよくない方向に変わるのは早いなと痛感じています。

人生に意味付けをしていく

この2019年、僕のコンディションは大きく変わりましたが、変わらないものと、変わりはしないが、さらに色が濃ゆくなったものがあります。

それは、

長崎のサッカー界に貢献する

これは以前と変わりません。そして、もうひとつ。 今まで思っていても、口にしてこなかったこと

日本のサッカー界に貢献する

今まで、長崎の枠で止まっていた者が、いきなり日本なんて…と思うでしょう。まだ、長崎の表舞台に出ていることすら疑問です。ただ、これは年末に赤山さんとお会いして以降、薄かった想いが濃ゆくなりました。

夢やビジョンを人と比べてはいけないし,比べる必要もない.コアなマインドこそが大切だ.』と、

僕には本田圭佑選手に見えて仕方ありませんでした。似たような言葉はSNS時代、その辺に転がっているかもしれません。ただ、生の声を聞いたことで、伝わり方が圧倒的に違いました。体調不良を理由に止まっていたら、この出会いや、今の想いが無いと考えると、動いてよかったと思います。あの日から、濃ゆさは変わりましたが、自分のコアな部分は変わっていない。

この記事を書く最中、

「過去を振り返る人は、今を頑張れていない証拠だ」という一文を、目にしました。まさに、今この記事を書いている自分に当てはまると思いました。     ただ、それを目にしても、過去を振り返ることを続けました。今は最大レスト中で、確実に頑張れていないから。

ただ、単にこの時間を楽しんでいる。それが病室で寝ながらできること。もしかしたら、この文章の中の、いくつもある言葉の中の一言が、誰かに届くかもしれないと思いながら。

あの夏の日に、あの言葉が、僕を救ってくれたように。

否定も肯定もする訳ではないですが、僕は頑張るという感覚はだいぶ前に置いていて、どちらかというと楽しむという方が、今の自分にはしっくりきている。「頑張る」は無理してる感があるので。言葉の捉え方、マインドセットは人それぞれ。自分が生きやすいように考え、他人に自分の人生を邪魔させないように。ただ、その解釈を自分の良いようにしすぎると、時に成長を阻害することもあるので、厳しい自分も持ち、時に優しい自分も持ち合わせながら向き合って楽しんでいく。

 今僕が、今の心情で、今ここにいるのが正しいかはわかりません。だから、これからの人生で、これまでの人生に意味付けをしていく。今は助走が長すぎると思うが、振り返った時にあの助走があったから、   「今ここにいる」と、10年後に思える自分で"在る"ように。

"在り方"を意識して、日々を丁寧に、2020年オリンピックイヤーも邁進していきます

いや、新年までもう少しある。今この瞬間から、今進めるペースで少しずつでも前へ、進む


今回、この不調が続く間に気遣って頂いたり、長期休暇を許可してくれた職場、チーム関係者の皆様には心より感謝いたします。家族にも感謝です。

何も悲観することはない。

あの時、動き続けてよかった、あの葛藤があって良かった、あのタイミングで手術してよかった…

と思えるよう

人生に意味付けをしていく。

そんなことを思わせてくれた、葛藤の7ヶ月。

2019.12.30



下記の記事は、
扁桃炎の文献・医学的な情報と自身の症状と
入院時の経過をまとめた記事です。
扁桃炎に悩まれている方の参考になれば幸いです。​




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?