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選んだのは自分なんだけどー

人は1日で、

一体何回の選択をしているか。
数えた事はないが、相当数の選択を無意識のうちにしていたり、意識的にしていたり。
この数、朝から1日ガッツリ数えるとしたら、きっと正午に辿り着くまでにイヤになってしまうだろうなぁ。

まずは朝の目覚めから。
携帯のアラームが鳴る。
いつもと同じ時間。
起きるか否か?
はい〜、既に選択ですな 笑

スヌーズに従うか、停止して起きるか、はたまた停止しても起きないという選択肢もある。
目覚めた瞬間に、いきなり“選ぶ”という行為にブチ当たる。
仮に起きたとしよう。
その後のルーティン的な事柄は人それぞれだろうから、自分の場合で考えると着替え。だいたい前夜に決める派だが、それも選択。
決めてなければ、さあ〜今日は何を着るか。
1日の自分の動きと天候チェックして選択。
ってか、もうこれだけで書くのがイヤになる 笑

この調子で考えると、

人は1日のうちで実に山程な選択をしているってのが分かる。
ルーティン的な事柄の中にもイレギュラーが混じると、余儀なく選択する事になる。
これに加えて、学校や仕事などの判断を伴う選択や、
自分の岐路に関わる答えの無い、決断にも近い選択や、
身体や命に関わる決め兼ねる選択、
また、自分の事柄ではないのに選択を迫られるシーンもある。
誰かが言ったように、人は選択に付きまとわれながら生きている。
こうやって文章にすると、選択なんてしたくないと思ってしまいそうになるが、選択が出来る、選択肢があるという事は、それだけ豊かなのかも知れない。感謝だな。

なのに選択に圧迫を感じるならば、自由が故の“広過ぎな選択範囲”による困惑や、選択する時の“無意識の期待感”が原因ではないかな。
んーー、なんか文章、わかりづれーぞ。

自由が故の

”広過ぎな選択範囲”は、やはりインターネットにの普及によって莫大した感。
これまでの”自由な選択”は、金銭豊かな方々に限っての、特権のようなもの、だったような気がする。もちろん今もそうではあるが、インターネットを介して、手軽さや値打ちさ、無料ダウンロード等々のサービスが標準のようになってからは、自分も含め、そこそこの方々にも かなりの広い選択肢が手に入ったのではないかなぁ。
選択肢が増えると、最初はワクワクして見るのも楽しいが、時間を要するに連れて、どれがイイのかも分からなくなり、段々と疲れてくる。で、結局は何をしてたのかな?と思ったり 笑
そんなことを繰り返してると、選択すること自体への圧迫感が生まれたりする。
贅沢な話しなんだが 苦笑

“無意識の期待感”。

これはヤバい。これは”選択時”に のみのワードではない。
“無意識の期待感”を示すには、選択との関係を例にあげると1番わかりやすいかも知れない。
答えのない大きな選択をした時に、このパターンは当てはまることが多いかも。
例えば、進学先や就職先を選択する場合。
選択の基本事項になるのは『志望』とか『希望』。
これをより具体化することにより、範囲を絞り込み、決定していくことに繋げていくが、具体化すればするほど、『志望』や『希望』への思いが強くなる。
「きっとこんな感じだろう。」から
「きっとこんな感じに違いない。」
と、確定に近い印象を無意識に作ってしまう。
知らない間に頭の中には、自分が思い描いた通りの理想の進学先や就職先が出来上がっている。

晴れて志望校や志望の勤務先に行けたとしよう。
しかし、ひとたび、上手くいかない事に出くわすと、自分の選択が間違っていたのではないか?と疑念を抱くようになる。
その数が増えれば増えるほど不信感が積もり、最終的には自分の選択が間違っていたかも?と、思うようになる。
「別の道を選んでいたら、こんなことにはならなかったかも知れない。」
と、後悔が始まる。
最初に経験した大きな選択が上手くいかないと、不安や恐怖感が生まれ、
それから先は、どれを選択しても上手くいかない気がしてしまい、積み上がるのは後悔だけ。
選択する時に期待を乗っけてしまうから更に後悔は大きい。
冷静に考えれば、別の道だって どうなるか分からないのに。

逆に、これが志望校や志望先ではない場合は、どう感じるか。
おそらくそれほど後悔しないと思われる。そもそも期待してないから。
志望や希望をはっきりさせ、磨きをかけ、理想を作り、期待を盛って選択し、期待通りにならないと後悔する。
そりゃそうなるわなぁ。
自分で自分の荷物を重くして、潰れるよう自分で促してる?かのようなコトをしてる。

人は気付かないうちに期待してしまう。

期待って、自分以外の何かを、自分の思い通りにしたいという欲で、それをパワーアップさせたものなんじゃないかな。
大きな選択をする時に、自分の気持ちをハッキリさせるのは大切だが、理想や期待を募らせないよう、少し距離をおいて見回すことを忘れないようにしたい。

ちなみに、ここで出てきた、ある種のパワーワード 笑
調べてみたら、やっぱりパワーワードだった 笑

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【志望】しぼう

《名・ス他》自分がこうなりたい、こうしたいと望むこと。 

【希望】きぼう

《名・ス他》未来に望みをかけること。こうなればよい、なってほしいと願うこと。また、その事柄の内容。 
「進学を―する」
望みどおりになるだろうというよい見通し。
「将来の―を失う」

【期待】きたい

《名・ス他》ある人がそれをするのを(他の人が)あてにし、心待ちに待つこと。将来それが実現するように待ち構えること。

グーグル日本語辞書より

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志望や希望。

人が生きていく上で活力とされ、喜ばれる言葉だが、なんだかいいように操られているみたい。
志望や希望に心を奪われず、日々、目の前に向き合い、淡々と。
んでもって、”期待”は要らないな 笑


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