映画『きみはいい子』批評

おはようございます。
間隔を空けずにnoteに訪れました
サボりがちな自分を変えるという意味では
これもまた一歩前進かな。

今日は映画の批評をしてみたいと思います。

ちょっと前の話になるんですけど
ネットカフェで『きみはいい子』という
映画をみました。
この作品は児童虐待、育児放棄、学級問題
をテーマにして現代でも抱えている問題から
誰かを救ったり、救われたりする可能性を
示していきます。

私はこの作品をみた時に
ずっとイライラしていました。
クラスにいるやんちゃ坊主達の態度。
自分の子供を叩く親。
「やっぱ子供は煩くてウザいし嫌い。
もし自分も子供がいたらイライラして
すぐ手をだして気が済むまで虐待をすると
思う。愛情なんてクソ喰らえだ。」
というのが正直な感想でした。

しかし、同時に
「自分は心の余裕がなくなってきたこと
人に優しくすることができなくなった。」
ことに気がついたのです。
前までは自分だったらこんなことしない。
自分だったら優しく接することはできる。
と言っていたけど
それは綺麗事に過ぎなかったのかなと。
さっき私は「愛情なんてクソ喰らえだ。」
と言っていました。
だけど本当は誰かに愛情を与えるより
誰かに愛情を与えられたいというのが
今の自分の願望だと思います。
子供の時みたいに愛を誰かに抱いて欲しい
抱えている自分の心を抱きしめてほしい

大人だけど大人になれてなかったのです。
まだまだ私は未熟者でした。
ようやくそこに気がついただけでもいいかな。

そういえば
作品の中でも小学校の先生が生徒達に
「家族に抱きしめられてくること」
を宿題にしてましたね。
抱きしめられた時に
ふわっとして優しさと愛情に包まれていく
この感覚をいつまでも忘れてはいけない
そして次は誰かに優しさを与えてあげなさい
と先生は伝えたかったのでしょう。

愛ってなんだろうね?
こじらせている私にはなかなか
見つけられないものかもしれません。
「優しさ」も一歩間違えれば「甘やかす」
に変換してしまう恐れだってあります。
難しいものですね。それでも私達は追求して
自分なりの正解を出さないといけないの
かもしれません。

「愛とは何か?」
これが私を成長させる
問題のひとつなのでしょう

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