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母乳とミルク。イデオロギー論争から離れて知りたい科学的事実。

歯科からみた赤ちゃん育ての要点シリーズ①『授乳』


これまで離乳とむし歯予防の観点からはいくらかまとめてみましたが、
今回からは生まれてから3歳くらいまでの歯科的に重要なポイントを解説します。

生まれる前にも考慮すべきことがあるとする意見もありますが、このシリーズでは生まれてすぐから始まることから。
まずは授乳。

「母乳vsミルク」としてイデオロギー論争の的に陥りやすいデリケートなテーマではありますが、本来そのように対立構造にさせるべきものではないということは前提としておいて、歯科的観点からは科学的にどのようなことが分かっているかをまとめます。

まずは、むし歯予防について。

母乳を与えるとむし歯になる、と思っていませんか?
実は「母乳で育てたほうがむし歯になりにくい」ということが分かってきています。
2021年11月に出されたイギリスの公衆衛生サービスのガイダンス1)には、

(母乳育児は)むし歯のリスクの低減、および「母乳で育てられていない」子供と比較して不正咬合を発症する可能性が低い

とし、「生後6か月間だけ母乳で育てられるべき」「生後12か月までの母乳育児はむし歯のリスクの低下と関連」と記載しています。
その根拠となった論文はこちら2)。

つまり、1歳まで母乳で育てたほうがむし歯になりにくい、ということです。
ただし、1歳を超えて母乳を継続した場合にはむし歯が多くなってしまうとしている研究についても言及されています。

一見矛盾するようですが、これは1歳を超えた場合には母乳以外の様々な交絡因子が関わるので研究に限界があるためとしています。
1歳を過ぎると砂糖を摂取する子どもも増えてくることや、母乳育児を選択する養育者とそうでない養育者の持つ背景の違いが色々あるということですね。
いずれにしても母乳そのものは本来むし歯に関しても予防的であり、その理由は免疫学的な側面で考察がされています。

次に、歯並びについて。

イギリスのガイダンスにもあるように、不正咬合(悪い歯並び)とも関係があります。
授乳方法と歯並びの関係は比較的多く研究がなされていて、それらをレビューしたもの3),4)も複数出ています。
その多くは、母乳のほうが一部の不正咬合(悪い歯並び)が少ない、という結論となっています。

これはなぜなのか?
そもそも歯並びはいつ決まるのか。
遺伝だけではないのか?
様々な疑問が浮かび、それを必ずしも質の高い根拠をもって答えられるとは限りませんが、遺伝だけではなく環境要因も影響していて、それが比較的早期に起きている可能性はあります。

赤ちゃんの上顎の形がどのように変化しているかを調べた研究5)があります。
それによると、生後3か月までが最も変化が大きいという結果でした。

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(写真左は生後翌日、右は3か月後の同じ赤ちゃんの上顎の模型です)
生後3か月!
普通はまだ歯科医院には連れて行くこともない月齢でしょう。
その時期に口腔に関わることとして授乳は大きな部分を担っている可能性はありそうです。

母乳とミルク、正確には直接授乳と哺乳瓶授乳との差として考えられるのは、その飲み方です。
直接お母さんのおっぱいから授乳する場合には、赤ちゃんは咬筋を含む咀嚼に関わる筋肉をしっかりと使います。
一方、一般的な哺乳瓶で飲む場合には、それらの筋肉があまり使われないことが分かっています6)。

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この図は咬筋の働きを筋電図で見たもので、上が哺乳瓶、下が直接授乳です。
明らかに働きが異なることが分かります。

現在哺乳瓶を手に入れようとした場合は、ピジョンの母乳実感が圧倒的なシェアを占めていると思いますが、こうした咬筋の働きに着目した哺乳瓶(ビーンスターク・スタンダード)もあります。
ほかにも赤ちゃんの姿勢に着目したドクターベッタや、授乳中の乳首の形を模したヌークなど、色々な製品があります。
様々な理由で直接母乳が困難な場合も、それぞれの製品の特徴を理解してその赤ちゃんの特徴やお母さんの希望などを考慮して専門家から提案されるべきではないかと思っています。

口腔機能にも違いが出る?

直接授乳や咀嚼型乳首(ビーンスターク・スタンダード)の場合は、一般的な哺乳瓶での授乳で育った場合よりも、離乳食において繊維性の食品の摂取が早期から可能になる傾向が示されています7)。

授乳期に咀嚼筋を使っているかどうかが、そののちの離乳食の進み具合に影響するということですね。
そして離乳から始まる「食べる」行動が口腔機能と関わりを強め、最終的には「歯並び」という形態に影響を及ぼす。
一応そのストーリーが成り立ちますが、歯並びには他にも様々な要素が関わりますので、一概にこの点だけで語ることはできないのは当然のことです。
ただ少なくとも、「母乳とミルクは同じではない」というのは、ときに不都合であれこれも当然の真実であると思います。
そのうえで、哺乳瓶を使用する際にも適切な情報提供をすることが重要です。
現状は、咀嚼型乳首の存在自体を知らないままということがほとんどでしょう。
哺乳瓶もすべて同じではないのです。

何が授乳方法に影響を与えるのか?

少し視点を変えて、授乳に関して母親はどのようなことに影響を受けるのか?ということも考えてみたいと思います。

また今回も縄文時代から始まるのですが(爆)
土器を作ることのできた縄文人は離乳食を作ることで離乳(卒乳)時期を早め、次の子どもを効率よく産んで人口を増やしたのではないかと昔は考えられていました。
しかし、安定同位体分析という手法でどうやらそうではなかったらしいことが分かっています8)。
この研究で、縄文人は3歳6ヶ月頃 (95%信用区間で2歳4ヶ月–5歳6ヶ月) に離乳が終わることがわかりました。
これは世界の他の狩猟採集民と比較しても遅めです。

そこから一気に現代に近づいて、江戸時代の人々をみると0.2歳頃 (95%信頼区間: 0.0–1.3歳) より母乳以外の食物からタンパク質を摂取しはじめ、3.1歳頃 (95%信頼区間: 2.1–4.1歳) には母乳を摂取しなくなることが明らかになっています9)。
縄文時代よりは早まっていますが、それでも現代と比較すると遅めな印象ですね。
ただこの江戸時代の間に「子ども観」に変化が起きていることが分かっており、その時期を境に離乳時期が3年1ヶ月 (95%信用区間は2年1ヶ月から4年1ヶ月) から1年11ヶ月 (95%信用区間は1年5ヶ月から2年8ヶ月) へと短縮されていることが示されています10)。
こうした分析などから、離乳時期は調理技術などよりも周囲の協力や経済的状況など社会的な背景に影響を受けることが分かっています。

江戸時代に香月牛山によって著された日本で最初の育児書と言われる『小児必用育草』には、

『二歳半のころまでは、乳を多くのませ、食を少なく与えよ。三歳より四歳までは、食を多く、乳を少なく与えるがよきなり。五歳よりは、乳を飲ますることあるべからず。』

と書かれています(数え年表記なので現代と合わせるならここからおよそ1歳程度引く)。
実際の江戸時代の人々の離乳年齢よりも長い期間が推奨されているのです。
社会的な背景から離乳時期が早まってきたことへのブレーキをかける意図もあったのかもしれませんね。

現代においてWHOが2歳までの授乳継続を推奨11)していることと似た構造かもしれません。

いずれにせよ、現在の日本のお母さんたちの9割以上は母乳で育てたいと考えている12)のです。
にもかかわらず母乳育児率がそれに満たないのは、社会的背景が最も大きな要因であると思います。

経済的な理由やジェンダーレスな社会として女性も働くのが当然となってきている社会的状況においては、母乳育児の継続自体が構造的に困難になっていることの影響は間違いなくあるでしょう。
実際に、出産後1年未満の母親の就業状況別に母乳栄養の割合をみると、出産後1年未満に働いていた者は 49.3%、育児休暇中の者及び働いていない者は 56.8%となっています12)。
幸い今のところの日本国内の母乳育児率は海外と比べて高い割合となっています。グローバルな社会へと変化していくにつれ、その社会的背景につられて海外同様の母乳育児率へと落とすことなく、その両立がはかれるような社会を目指すべきでしょう。

それに加えて、ミルクはビジネスになります。
授乳・離乳の支援ガイドの改定が液体ミルクの販促に使われてしまったことは以前にも記事にしましたが、

WHOは母乳代用品のマーケティングに関する国際規準を設けているにも関わらず、国内においては粉ミルクが乳業メーカーから産院や母親に配布されたりすることも日常的に行われています。
ミルクを補足すると母乳は生理学的にそのぶん分泌されなくなります。
安易なミルク補足は母乳育児の妨げになるのですが、こうした事実がときに医療従事者ですら認識されていないのが現状です。

医学的に必要なミルク補足をあまり過敏に感じる必要はありませんし、母乳で育てなくとも多くの赤ちゃんが概ね健康に育っていることは間違いありません。
人類にとって人工乳の存在は大きな恩恵であることに変わりはありません。

ですが、歯科的にみても母乳とミルクは同じではないし、9割以上のお母さんが母乳育児を希望しているのであれば、そこに適切な支援があるべきだし、それを実現できるような社会的な理解と制度が存在するべきと僕は考えます。

あぁ・・・結局歯科からだいぶ離れてしまいました。

母乳の方が良いと受け取られる発信は社会情勢的に歓迎されないし、優しくない不都合な真実であることはよく分かっています。
しかしそうしたことを社会的な背景に迎合して覆い隠すことは、「知っていたならそうはしなかった」ということも多く生んでしまいます。

「100%果汁ジュースもむし歯になると知っていたら与えなかったのに。」
「ちゃんとした支援があったら母乳で育てられたかもしれないのに。」
「咀嚼型乳首があると知っていたならそれを選んだのに。」

せめてそういう声をなくしたいじゃないですか。

みんながしたい子育てをしたいようにできるような社会にしたい。

総選挙前だからか、そんなことも考えつつ、まとめてみました。

1) Guidance Breastfeeding and dental health. Public Health England. Updated 30 January 2019
2) Avila WM, Pordeus IA, Paiva SM, Martins CC. Breast and Bottle Feeding as Risk Factors for Dental Caries: A Systematic Review and Meta-Analysis. PLoS One. 2015 Nov 18;10(11):e0142922. doi: 10.1371/journal.pone.0142922. PMID: 26579710; PMCID: PMC4651315.
3) Boronat-Catalá M, Montiel-Company JM, Bellot-Arcís C, Almerich-Silla JM, Catalá-Pizarro M. Association between duration of breastfeeding and malocclusions in primary and mixed dentition: a systematic review and meta-analysis. Sci Rep. 2017 Jul 11;7(1):5048. doi: 10.1038/s41598-017-05393-y. PMID: 28698555; PMCID: PMC5505989.
4) Abate A, Cavagnetto D, Fama A, Maspero C, Farronato G. Relationship between Breastfeeding and Malocclusion: A Systematic Review of the Literature. Nutrients. 2020 Nov 30;12(12):3688. doi: 10.3390/nu12123688. PMID: 33265907; PMCID: PMC7761290.
5) 石田房枝.無歯期乳児における口蓋形態の成長発育.顎顔面口腔育成会誌,2015,vol.3.no.1,p15-21
6) Inoue N, Sakashita R, Kamegai T. Reduction of masseter muscle activity in bottle-fed babies. Early Hum Dev. 1995 Aug 18;42(3):185-93. doi: 10.1016/0378-3782(95)01649-n. PMID: 7493586.
7) Sakashita R, Inoue N, Kamegai T. From milk to solids: a reference standard for the transitional eating process in infants and preschool children in Japan. Eur J Clin Nutr. 2004 Apr;58(4):643-53. doi: 10.1038/sj.ejcn.1601860. PMID: 15042133.
8) Tsutaya T, Shimomi A, Fujisawa S, Katayama K, Yoneda M. 2016. Isotopic evidence of breastfeeding and weaning practices in a hunter–gatherer population during the Late/Final Jomon period in eastern Japan. Journal of Archaeological Science 76: 70–78. DOI: 10.1916/j.jas2016.10.002.
9) Tsutaya T, Nagaoka T, Sawada J, Hirata K, Yoneda M. 2014. Stable isotopic reconstructions of adult diets and infant feeding practices during urbanization of the city of Edo in 17th century Japan. American Journal of Physical Anthropology 153: 559–569. DOI: 10.1002/ajpa.22454.
10) Tsutaya T, Shimatani K, Yoneda M, Abe M, Nagaoka T. 2019. Societal perceptions and lived experience: infant feeding practices in premodern Japan. American Journal of Physical Anthropology 170: 484–495. DOI: 10.1002/ajpa.23939.
11) Breastfeeding. WHO. 
12) 授乳・離乳の支援ガイド(2019年改定版)厚生労働省

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