教育改革試論(Twitterより加筆転記)

(2024,4,13 イーブイちゃん,盆踊りDJ鈴木のアカウントから加筆しつつ転記)
(今後スライド作成などに活用するための加工スペース?)
(現状でも読めますが分量などめっちゃ多くて読みづらいかも)


日本の教育というのは

①勉強したいなと心から思う時期
②実際に勉強できる環境が整っている時期

この二つが致命的にズレがち。
社会人になってから勉強したくなるし、
社会人になってからだと勉強するのは状況的にかなりキツくなっている。

日本に生まれ育っていると、勉強ってのが
a.人生に突然やってくる
b.何が何やらで意味を見いだせぬまま時間経過しがち
c.終わった後だと取りに戻れない

この三つの残念な要素があるように思う。

言い換えてみると
a.理由もわからないままに突然始まる。
b.訳も分からずやらされる。目的が見えず低モチベ
c.重要性に気が付いたあとで再学習を試みてもコストが極めて高い(時間・労力・世間の目etc...)
こういった困難・あるあるな失敗構造が存在するのでこれをなんとかしたい。

大学という場所も現状ジレンマがあって、
学問の楽しさが分かってきたころに就活が始まってしまう問題がある。
"学問の楽しさ・情報のありか(どこで何を調べると何にヒットするか)が判ってきた頃にタイムアップ(卒業)を迎える”

↑これを全員が全員繰り返しているのが大学という場所だと思うので
そのままだと「賽の河原の小石積み」で全体としてあんま進歩していかないよね。
(不毛な繰り返しばかりで知の蓄積&継承がスムーズにいってないよね)

なので今の状態から発想をちょっと変えて、
「作業と勉強(学問)の区別」を明確にし学問のみに集中できる状況を構築する。
作業と勉強は峻別できるわけじゃないけどそれでも大雑把には分けて考えたほうがいい。

そういった環境構築と共に、以下の考え方を導入するのも超大切。
①説明を資源としてとらえて備蓄する!
②「時間の流れ方は螺旋構造だ!」と解釈して、同じ位相の場所に①を埋め込み周期性を活用(再利用する)

↑これらが上手になっていけば蓄積されていく説明の資源を有効活用し、
それまで到達できなかった量・質のクリエイトをおこなっていくことができます。

①の「説明を資源として考える」は非常に大切な見方です。
IT革命のおかげで、それまでは不可能だったこと;概念を(ほぼ)ゼロタイムで(ほぼ)直接転写する、が可能になりました。wikipediaみたいな重層的なハイパーリンクもコピペで一瞬で転写できる。
この”コピペ可能性”を有効活用するのが日本の教育改革において重要なことだと喝破しました。

「教育問題」の本質を一言でいうと
・毎回時間切れしている

:時間内に特定の地点に情報が届いていないのが毎回毎回毎世代毎世代続いているせいで「単なる技術の限界が原理的に絶対不可能な問題だと勘違いされているし、問いの立て方もゆがんだまま気づいていない」
なのでありまする。意識共有大事。

【とにかく発想を変えましょう!情報の使い捨てはよくない!
大勢の人が時間かけて読み、理解し、その理解を他者・後世に伝えず捨てている…。
理解(:誰かが咀嚼してくれた情報)をその場で使い捨てにしないこと!

趣味嗜好の多様化した世界では咀嚼情報の運用情報伝達速度を上げるのが超絶大事。

【※余談ですが】

・多様性への実践的な配慮
・個人個人の生き方に合わせた選択肢の確保

これらは根本が共通している問題で「扱える情報量を無理なく増やすにはどうしたらいいか?」という話。
"視点のアーカイブ化"がカギになる。説明資源の保存、景観の保存です。

【余談終了】

「教育問題」の本質は
・毎回時間切れしてます

↑これです。
有限時間内に特定の地点に情報が届いていない
が毎回・毎世代続いているせいで
「単なる仕組みの限界」「絶対不可能な原理上の問題」だと勘違いされています。
意識を変えていきましょう!

・「時間割(学校内で学べる時間、可処分時間)」は上限があるのに
・これからの時代学んでかなきゃいけない必須事項
はどんどん増えていきます。
教育問題の解決を図る場合、
学校内の可処分の時間(枠内の話)よりも
学校の外側にどれだけ「枠の数」を新たに増せるかを考えるのが現実的です。

"学ぶべき知の総体"が100→1000に増えてく多様性・情報化社会なら
"学びのための空間"も100→1000へと増えなくては。
既存の入れ物が容量MAXなら他の入れ物を作るしかない。シンプルな話。
分野と分野の隙間にあるような"学術"は在野でコツコツ積み上げ・散布する動きがなきゃいけません。

蛇口を捻っても水量が上がらないなら、底穴を塞いで水漏れを止めましょう、
水の使い捨てをやめて循環させましょう、という話。
教育情報や"説明"を使い捨てるのは極めてもったいないです。

「時間切れ、届かない問題」を解決するために
・”いつ誰がやっても変わらない演算”
についてはあらかじめ色々の用意をしてしまい、その他のことに時間を割いていく感じです。
すると「毎度消えてしまう砂浜のお絵かき」状態だったものの事情が変わってくる。

【今までの"不可能"を変えるために大切なポイント】
・使い捨てを止め循環させる
・"広く浅く"も積層させれば"広く深く"なる

”使い捨てを止めて循環させる”
”土壌を作って増殖させていく”
この二点がとても大事で、そのために何をどう実行できるか考えていく必要があります。
自分は以下三点
説明を資源とみなす
時間を螺旋階段に見立てる
③ミームを疑似テレパシーする
このアプローチから組み立てている次第でござる。

その時に使っているのが「主観と客観の中間地点に存在している”半分主観・半分客観”」的な
モノの見方を備蓄運用していくイメージです。

「主観と客観の中間にあるお役立ち系メタ情報を備蓄し状況(物体やイベント)に埋め込んでおく」
というのは
深く考える×素早く決定するの両立
・冴えたモノの見方の共有
・特殊性と一般性の高度な融合

において極めて重要なのです。
これはホンマに重要で別のタイミングでちゃんと記述します。

説明構造の結晶化(文字による冴えた見方の複製)を意識するメリット:
「深く考えること」「素早く決定すること」が高い次元で両立しうる
↑が一番大きいと考えます。
説明”や”モノの見方”を使い捨てしてしまう世界観ではこれが達成できない。毎回時間切れ。

毎回時間切れしている世界だと
「人手が足りないからそんな細かいところまで"説明・冴えた考え方"が届かないよ」
となってしまうので、
「使い捨てを止めたら時間もエネルギーも節約できて細かい所までリーチするようになったぞ!」
こうなれるように頑張って変えていきましょう。

"そんな細かいとこに人手がやってくるわけない"を
時空間への説明資源埋め込み・賢人bot作成でクリアできてしまったりします!bot作成できないと”賢い人がその辺にゴロゴロ存在する”という状態を作り出せないって感じです。賢い人がその辺をうろついてないからこそ現状は教育の質向上が困難だと認識されているのです。ゴロゴロさせましょうフヨフヨ漂わせましょう(-∀-)
「優れた説明」の運用コストを下げていくのが教育問題解決の基本姿勢です。

教育現場では「時間割」という枠で可処分時間が限られているため
古文or三角関数不要論など、自分陣営から不要に見えるものを削ろう
という発想になっていますね。

リソースの奪い合い
・発射砲台が一つしか存在しないため「誰が何を射出するか」ばかりが議論の中心
↑これがよくないです。

発射放題を増やす(新しく作る)方向に意識が向かないと教育問題は解決しない。
リソースを奪い合うのではなく増やすこと。
限られたパイの奪い合いからの脱却。
「学校の外側に発射砲台をたくさん作って、そこで遊ぼうぜ!」意識のシフトを。
砲台足りうる民間存在があるなら・ありうるなら、どこで・どのようにか?
↑そろそろこういったことをガチで議論すべき時期でしょう。

  • youtubeか?民間向けのオープンカレッジか?

  • もっと個人的な読書会やラーニングバーか?

  • 一かゼロではなく「公-私」の中間的な性質を帯びた”キュレーション存在”は

  • 三次元空間には沢山必要かと思います。

  • ・それぞれがどのような長所短所(射程の限界)を持つか

  • ・各々の機関が20年~30年と世代を超えて継続するには何が必要か?

こういった事柄も真面目に研究されていかなくては。

試論ではありますが紙芝居やプラネタリウムのように教材を春夏秋冬の年中行事として回すのは強力な一案です。
ベタ度の高い(世代を超えてPVの高い)内容は循環の中に置いて作用させても良い。
レコード盤を季節の巡りの中でかけるイメージ。
”古典”にエッセンスを詰め込む。

この間長々と書いた「時間螺旋」という考え方も
賽の河原の小石積みを防いで先人の知恵を「遊び×学び」のロープレの中で習得していく教材づくりのための基盤
という感じです。
”使いまわせるもの”を有効活用すれば

ありえんくらいの神クオリティなナニカ

を作れます。

「年中行事」にこだわる理由も、そこに"学びの構造"が完成してしまえば50年100年単位で参照される可能性があるからです。一度きりのイベントではそうはいかない。
「遊びの中から本質に繋がる学びを体験できる素材」を埋め込むなら、時代を超えて参照され続けるミームに埋め込んだ方が得でしょう。
そんな感じの話です!
今回は長くなりすぎたのでこの辺で。

【次回のポイント】
・時間を螺旋階段に見立てる
・周期で毎回めぐってくるポイントに情報を蓄積していく、
・世代を超えて継承できる面白い教材が生成できる
年中行事(季節ネタ)が「面白くて学びになる」OJT教材になることが原理的に可能です。僕たちはこれを構成的手法で実証しています。

時間螺旋の話へ続く(先取りしたい人:こちらTwitterのリプツリー参照)
https://x.com/nurikabeebe/status/1708542073870356954

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