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ハーフタイム-B このまま死んでいくのかな……?(二村ヒトシ)

石田月美さま

この連載での月美さんからの指摘に対して「俺のせいじゃないよ」とボヤきたいというか抵抗したい感情があります。俺は何に対して抵抗しているんだろう。

それと同時に「俺は俺の書いてきたこと、やってきたことの解像度をあげないと(てきとうなことを言ってないで自分の嘘を自覚していかないと)なにも変わらないまま、このまま死んでいくんだろうな」という感情もあります。

変わらないといろいろヤバい。と、ずっと昔から言ったり書いたりしてお金をもらってきて、人間は変わるために恋愛や結婚や失恋をするんだ! 関係の濃さや場数の多さに意味があるんじゃなく、その関係によってお互いが変われたかどうかに意味があるんだ。みたいなエモいことも言って、それがつまり月美さんが書かれた

恋愛の苦しみというのは、恋愛それ自体が持つ逃れられない作用

ハーフタイム-A 石田月美から二村ヒトシへ

ということに近い(いや、これ全然ちがうことなのかな? どうなんだろう?)と思うのですが、言ったっきり書いたっきりで結局ぜんぜん僕自身が変われていない自覚があります。

またそれとは別に「俺は、いいこと言ってるし嘘はついてないし、俺の書いた本を読んで救われてる人もいるんだから、いいじゃないか」という感情もある。

でも本当に、嘘はついてないんだろうか。

自分の話のキーワードの解像度をわざと低くしておくことで(ポエムな書きかた、エモい書きかたをしていることで)僕自身が得をしている部分がある。

じつは確信犯(すなわちインチキ自己肯定)の猫だましなのでは、という疑惑が自分に対してあります。

まず、こちらですが、もう10年も前に書かれたブログです。ブログ自体に記名はありませんが筆者は『当事者は嘘をつく』(筑摩書房)の著者・小松原織香さんでしょう。

このブログが書かれてすぐくらいに僕も見つけて読ませていただき、もっともだと思って同書の文庫版『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』からは

なぜ女性は、他の女性の体に好意を持てるのでしょう?
それは、女性も、母親から産まれたからです。

のくだりは削除しました。しかしそれ以外の根本的な部分には今まで(月美さんから具体的な提言をいただくまで)反応をすることができないでいました。 

いま考えれば完全に小松原さんのご指摘のとおりで、心の穴についての言説を述べることで「あなたのことをわかっているよ」と読者に伝えることによって、そのことでまだまだ俺自身がモテようとしています。

また、こちらは5年ほど前に発表された、保育や教育について研究されているまくねがおさんと、『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か――#MeTooに加われない男たち』(集英社新書) の著者である杉田俊介さんの対談です。

杉田さんが言うウツボカズラ、つまり肉食植物的なのではというのも、まったく耳の痛い比喩です。

『すべてはモテるためである』は暴力的なモテを否定する本で「無害な肉食性」を標榜している。しかし杉田さんのご指摘は当たっていて、一部の読者は読み終わると二村のことを「いい人だ」と思うように、つまり二村がモテるように巧妙に書かれている。

「モテることで苦しくなった」なんて書いているんだから、もうモテなくていいという境地に達したのかと思ったら、まだモテようとしている。その「さもしさ」って無害じゃなく、まったく有害ではないのか。

僕の書きかたは女性の読者に対して優しくて、きびしくされたい男性に対してはきついことを言ってるのですが、それって月美さんが指摘したようなタイプのヤリチンが女性に対して「きみのこと理解しているよ」って言って、それでその女性がそのヤリチンを好きになってしまう構造とピッタリ同じなんです。

一見優しいんだけど、それは自分を安全圏においていて、自分が変わる気はなく、相手の表面的な、あるいは一時的なニーズしか満たそうとしていない。

そもそも優しいこと言ってるだけで、自分が何を考えているのかを、つまり自分の具体的な感情を、相手に伝えていない。

熱いけれど暴力を振るう人間よりはマシかもしれないが、自分を見せないで高みに置く本質的な冷たさが暴力になっている可能性がある。

もしかしたらそもそも恋愛において、あるいは本を書くということにおいて、僕は、あんまり感情というものが「ない」のかもしれない。 ただ「モテたい」というキリがない欲望があるだけで。

……そしてこういう自己批判をつらつら書くこと自体が、気持ちいいんだよな。

気持ちのいい自己批判を続けていても仕方がないので、まず次回「心の穴」という言葉の解像度をあげますね。

前回の原稿を書いてから少しして「心の穴っていう言葉が大きすぎてまずいのは、三つのことをまぜこぜにしちゃってるからだ」と考えました。その話から始めたいと思います。それと、恋愛論にたどりつく前の、男女論を少し書きます。 

二村ヒトシ