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初茜に誓う

 年の初め、妻の実家(静岡県下田市)の近くの佛谷山に登った。岩を削っただけの山道は狭く急で、所々崩れている場所もあり、まだ薄暗い中を慎重に歩みを進める。さびれた山道で出会う人はなく、迎えてくれたのは岩を削って作られた石仏だけだった。以前登った時は突然、目の前に現れた石仏群にたじろいでしまったが、今年は石仏のお顔が優しく微笑んでいるように見え、一つ一つに手を合わせて先を進む。そして登り始めて十分ほどで山頂に到着した。山頂からは、白々と明けて行くふもとの吉(き)佐(さ)美(み)集落を見下ろすことができた。点在する民家の明かりが遠慮がちに瞬いている。この集落も東南海地震が起これば津波に呑まれてしまうと義父が心配していたのをふと思い出す。
 視線を遠くに移すと、鈍色の空と海の境が朱色に染まっていて、日の出が近いことが分かった。だが雲は厚く垂れこめていて、残念ながら期待したような初日の出を望むことはできそうになかった。
 それでもしばらく待ってみる。風はなく暖かい元旦である。耳に入るのは波の音と、そこここでさえずる鳥たちの声だけである。水平線の朱色が次第に赤みを増し、バラ色に変わる頃、一瞬だけ雲間から太陽が顔を出した。新しい年の最初の太陽を目にして、一年の計を頭の中で誓う。こんなことを書けば「いいおっさんが何かっこつけてんだ」と思われるかもしれない。でも私の誓いは、仰々しいものはなく、例えば、毎朝、おはようと挨拶するとか、トイレのスリッパをそろえる。水回りの掃除は妻に言われる前にやるなど、日常生活の当たり前のことが多く、言うのが恥ずかしくなるようなものが多い。
 でもなぜ急に一年の計を立てようと思ったのか。きっかけは年末に遡る。友人と話をしていて彼女が毎年、五十個の目標を立てていることを知ったのだ。「これはできた、できなかった」とスマホを見ながらつぶやいている友人の顔を見ながら、相変わらず前向きに生きる彼女に感心しながらも、この歳になって何をいまさらと、ため息まじりに聞いていたのが正直なところだった。
 でも後々よく考えてみた。はたして夢とか目標を語るのは、若者だけの特権なのだろうか。僕らに残された時間は多くないが、それをぼんやり過ごしたり、嫌なことや苦手なことに時間を取られてしまうのはあまりにももったいない。この歳になれば、自分のできること、できないことはわかっているし、世の中や人間関係の厳しさ、優しさも骨身に染みこんでいる。自分の本当にやりたい道を進むためには、むしろ、これからこそ、しっかりとした目標が必要なのかもしれない。そう思い直して、私も五十個の目標を立て、初日の出に誓おうと決意したのだ。
 しかし、その日の夕方、能登半島地震が起こった。次第に明らかにされる被害の悲惨さを目の当たりにして、自分の立てた目標が自分や家族のことしか考えていないことを恥ずかしく思った。そして今の自分に何ができるか考えてみる。でも正しいことを言うのは簡単だが、正しい行動をするのは難しい。背伸びすることはない、自分はそういう人間なんだと認めることも大切だ、ともう一人の自分がいう。私は未だに今年の目標を書き換えられないでいる。
(写真は7年前のものです)

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