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合気道 お稽古録 001

<稽古内容>
・準備体操
・受け身
・呼吸操練
・とり舟
・呼吸投げ
・入り身投げ
・審査
・座位呼吸法

入り身投げのお稽古のとき、多田先生よりご指導いただく。
・差し出す手(半身で前になるほうの手)で相手を呼び込む。
・その手は転換時に手と同じ方の膝の内側に当てる。
・その後、同じ腕の上腕を相手の首へパッとあてる。
・このとき、反対の手(相手の首に添えた手)は、手と同じ方の膝へパッと置くようにする。
・終始相手を見ずに、道場の畳を見る。このとき、土俵があるように想定し、土俵の淵を見るように目線を置く。

呼吸操練でのご指導もたくさんあった。
・気持ちが定まらないとき、なんとなく集中できないなと思う時は、呼吸で気が晴れる、気持ちが切り換わる(気の錬磨)。
・両手の先を合わせて腕を輪にし、この輪に対して時計回り・反時計回りで、ゴルフボールがぐるぐる回っているイメージをする。
・ゴルフボールの回転は、最初腕と身体でつくった輪に流れていたものが、次第に外側外側へひろがり、回転の渦が大きくなる。
・呼吸や気の流れを意識することは、細胞に振動を与え、身体があたたかくなってくる。

<稽古を終えての所感>
多田先生のご指導を受けるのは、この日が初めて。
入り身投げの稽古中、門人のひとりに指導をされている姿が印象的だった。
入り身投げでは、半身で前に出している方と反対の手は、相手の首に添える。
その門人が相手の肩に手を置いたり、添えるのではなく首元で手刀のようになっていたりすることを何度も繰り返し目にする中、多田先生のご指導は「わたしは、首に手を添える、と言いました」の一言を繰り返しおっしゃるだけだった。
声色も表情も声の大きさも変えることなく、門人へ向けるまなざしも熱量も変えることなく、淡々と「わたしは、首に手を添える、と言いました」と、指導された。
「指導する」「教える」というのは、こういうことなんだ、と体感した。

多田先生がお越しになった稽古場は、待望の気持ちと敬意でいっぱいだった。
門人のひとりひとりが、「多田先生のお稽古を受けたい」という気持ちでいることは、これまでの数えるほどの稽古への参加で、わたしもひしひし感じてきた。
稽古が終わり、帰り支度をしながら、「きょうも多田先生、お越しにならなかったですね、お忙しいのかな…」「なんだか、本の執筆でお忙しいらしいよ」「そっか、じゃぁ、しかたないですね…」という、先輩の門人方の会話を、毎回耳にしてきたのだ。
不在のときに、これほどまでに待ちわびている人たちがいる。
その光景が、いつもわたしのこころを温めてくれた。
そして、きょう以降、わたしは多田先生のご不在の日に「待ちわびる側」に参与することとなる。

稽古場に広がる「敬意」は、道場にふりそそぐ南からの太陽の光そのものだと思う。
そこでは、「こうしないと先生に怒られる」「こうしないと先生に叱られる」というものや、互いの技の巧拙や強弱をはかったり、語るような気配を見つけることの方が難しい。
ただただ遠くに見える師匠の背中を追い、自己の鍛錬に邁進する人たちが集っているような光景は、稀に見るものかもしれない。
入り身投げのときに、多田先生直々にご指導いただいたあと、わたしに静かに声をかけてくれた先輩の門人がいた。

「最後のほう、なにも考えられなかったでしょう?あの感覚でいいんだと思います。どんどん技がよくなったから。多田先生にご指導いただけるなんて、いいですね。」

正直で素直な気持ちを静かに語る先輩に、「多田先生にずっとご指導受けてらっしゃるのに、なんてかわいらしい方なんだろう」とわたしは心の中でつぶやいた。

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