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はじめの一歩

2019年から2020年へ切り替わるときは強烈な違和感と漠然とした期待を含む近未来感を感じた記憶があるが、気づけば2024年に。
しかし残念なことに年始早々暗いニュースばかりで、幸い身の回りに大事はなかったもののなんとなく気が滅入ってしまう一週間だった。

箱根駅伝公式テーマ「Runner of the Sprit」に毎年恒例の高揚感を感じつつ、年始ぽく自分の今後について真剣に向き合ってみようかと思い始めた。
学生生活も折り返し地点、5年10年後自分を取り巻く環境について考えると、不安7割期待3割といったところだろうか。


大学から社会へ出ていく過程で誰しもが経験する・すべきことはさておき、自分の個性として何か形に残しておけるものはないだろうかと考えてみる。

学生として与えられた莫大な"自由"な時間、私はそのほとんどを音楽に費やしてきた。幸いなことに、僕は同年代の出会いに恵まれてきた。


高校1年生の冬、唐突に私のバンド人生が始まった。私の高校には軽音部がなく、ごく数人のバンド好きが有志で外で組むのが一般だった。


「俺ベース弾くからさ、お前、ドラムやってくんね?」


最初自分ではない誰かに話しかけているんだろうと思った。
それもそのはず、当時の私はピアノを少し齧った経験があるだけ。ドラムなんて触ったこともなければ8ビートも知らない。好きなバンドすら挙げられないくらいのバンド初心者だった。


それから約1年、発起人の彼が失踪しギターも見つからずボーカルとキーボードだけの前衛的3ピースになったり、全校イベントの出演者オーデションを当て振りで通過してしまって猛練習したり、音数の補填にとマックのBGMが10周するまでgaragebandと睨めっこしたり、初の箱ライブで苦労して作った同期が故障してバンドが崩壊したりと、いろんな経験をした。

あの1年は今までの人生で一番濃密な時間だったと思う。

音楽をやる義務や何か大きな目標があったわけでもないのに、目の前のバンドを少しでも前進させることだけを四六時中考えていた。

↑間違いなく高校生活で一番聴いたナンバガの解散ライブアルバム

幼少期音楽好きの母親が流していた自作コンピ
私の趣向に大きな影響を与えてくれた

大学1年の春、気づけば私はバンドが大好きになっていた。苦心の高校時代で着実に音楽についての脳内データベースも蓄積されていた。
強いて言えば、音楽が確実に続けられる環境が欲しかったので、私はコピーのバンドサークルに所属することを選択した。

大学にはいろんな出身と年齢の人がいる、と高校の教師にずっと言われていたが、それを音楽の趣味として思い知ることになるとは思いもよらなかった。

たかが1年オンボロバンドをやっただけの演奏力や知識では大学でのそれに敵うはずもなかった。

先輩が当たり前のようにコピーしているバンドは聴いたこともないようなものばかり。
特に現行の邦ロックばかり聴いてきた私にとって、洋楽そのものが未知で巨大なものに感じられた。


それから2年半ほど経ち、現在に至る。

熱量を持ってとことん音楽に向き合える友人も環境も手に入れたし、今では好きなバンドについて日が暮れるまで語り尽くすことだってできるようになった。

プレイヤーとしてのスキルを磨く中で、洋邦問わず古典から現代音楽までたくさんの音楽に触れ、底知れぬ感動を覚える作品にも幾度となく遭遇した。

↑今では一番好きなジャンルの一つであるシューゲイザーとの出会い

↑昨年最大の衝撃 ceroの新譜「e o」



次第に、世の中には既にこれほど素敵な音楽が転がっているのに、毎週のように刺激的な新譜が放たれていく様を見て、そこに触れた目撃者の一人として感じたことを記録し、自分の言葉で表現する意義を感じ始めた。

私が生まれた頃に比べて格段に情報へのアクセスはオープンになり、音楽もサブスクで容易く聴くことができるようになった。


私ももちろんその恩恵を多分に受けてきたが、絶えず変化し続ける情報の海の傍観者ではなく、自分の船を打ち建てもっと近くでその様子を見たいとともに、まだ海を知らない人にもその素晴らしさを伝えたいと考えるようになった。


差し当たって2024年は「自己表現」の年にしようと思う。この文章が私の人生初の記事であるわけだが、恥ずかしながら現状の文章力はご覧の通りかなり稚拙だ。

しかしバンドに初めて触れた高校生の自分がそうであったように、誰しも最初は初心者なもので、そう上手くはいかないもの。
恥じることなく人の目に晒されることでしか成長はないと思っているので、今後の記事にも目を通していただけると嬉しいです。










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