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贈与経済2.0は、行き過ぎた資本主義から抜け出す次の仕組みになるか

翔泳社より、4月15日(月)に『贈与経済2.0 お金を稼がなくても生きていける世界で暮らす』が発売予定です。

本書では慶應義塾大学教授で哲学と倫理学を専門とする荒谷大輔さんが、資本主義の次となる経済の仕組みを贈与経済2.0という形で理論化し、「お金を稼がずに暮らす」あり方を提案します。

現代の過剰な生産と消費を伴う資本主義は、技術革新などを招いた正の側面もありながら、気候変動など負の側面も生み出しました。また、お金が介在することで「お金がないと生きていけない」「お金のために働く」など、人生がお金に縛られるという現状もあります。

一方で、新しい経済の仕組みはさまざま考案されてきながら、いずれもが社会実装に行き届かずに失敗し忘れ去られてきました。従来の贈与経済も、贈与されたことから生まれる「お返しをしなくてはいけない」と思ってしまう負債感という大きな欠点を抱えています。

こうした資本主義の限界とこれまでの贈与経済の欠点を、贈与経済2.0ではブロックチェーンを活用することで克服を目指します。

本書はその理論を資本主義や贈与の基本的な事柄から丁寧に解説し、さらに荒谷さんが東京・高円寺と石川・白峰で行った贈与経済2.0の社会実験の成果も交えながら具体的な実装方法が論じられます。

経済の仕組みや新しい社会のあり方、ブロックチェーンの活用に興味がある方には、ぜひ一読してみていただきたい本です。

今回は発売前に、荒谷さんが本書にどんな想いを込めたか、何が書かれているのかを語った「はじめに」を抜粋して紹介します。本書を知るための参考にしていただければ幸いです。

◆著者について
荒谷大輔(あらや・だいすけ)
慶應義塾大学文学部教授、江戸川大学名誉教授。専門は哲学/倫理学。主な著書に『資本主義に出口はあるか』(講談社現代新書)、『ラカンの哲学:哲学の実践としての精神分析』(講談社メチエ)、『「経済」の哲学:ナルシスの危機を越えて』(せりか書房)、『西田幾多郎:歴史の論理学』(講談社)、『使える哲学:私たちを駆り立てる五つの欲望はどこから来たのか』(講談社メチエ)など。

はじめに

人から何か貰っても素直に喜べず、複雑な思いをいだくことはないでしょうか。この本は「お金」を稼いで生きる資本主義経済とは別なかたちで、人々が贈与し合いながら生きていく新しい経済の提案をするものですが、「贈与」と聞いても偽善や煩わしさの方を感じる向きもあるでしょう。

例えば、ご近所からお裾分けを貰うような場合、「お返しはどうしよう」とか「お返しをしてまた貰うことになったら面倒だな」などと考えると面倒くささが先に立つかもしれません。

お返ししたものを相手がどう評価するかをいちいち心配するのも嫌なので、贈与の応酬などは早々に終わらせ、自分の世話は自分でするという関係を互いに維持した方が「自由」でよいと考えられるのです。

しかし他方で、各人が自分のことをすべて引き受けるというのは大変なことでもあります。老後の生活を維持するために2000万円が必要という金融庁のワーキンググループの報告が話題になりましたが、「お金」だけを頼りに生きようとすれば、先々の不安は尽きません。

一昔前であれば、子どもに面倒を見てもらうことを当てにして安心していられたかもしれませんが、「自分の世話は自分でする」という「自由」が家族の間でも重視される状況では「子どもに迷惑はかけたくない」と考える人も増えているように思います。

しかしそうするとやはり、自分の力ではどうしようもなくなったときに頼れるものは「お金」だけであることになるのでした。

いざという時に頼れる人を「家族」という枠組みに限定せず、もっと広く確保する一方で、人間関係の束縛からは「自由」でいられるような「お互いさま」のあり方を実現することはできないのでしょうか。本書で提案するのは、その方法になります。

実際、そんな都合のいい人間関係を実現することなどできるのかと思われるかもしれません。詳細については本論で見ていただくしかありませんが、あらかじめごく簡単にお示しすれば、それは贈与の「意味」を常にオープンにすることで実現されます。

何かを貰ったときに「お返ししなければ」とか、育てた恩を担保に子どもに介護を期待するとか、負担感や束縛を発生させる贈与は、贈る人と贈られる人の間で贈与の「意味」が共有されています。

ちょっと抽象的に感じられるかもしれませんが、要するに、貰った方がいずれ返すべきものについては「分かってる(はず)だ」と最初から考えられている状態で贈与がなされているということですね。

あげる方も幾分かその「お返し」を期待しながら贈与がなされる状況では、贈られる方は手放しで嬉しがることはできず「負債感」が先に立つことになってしまうのでした。

本書は、贈与という出来事を、社会全体で自由に意味づけ可能なものとして記録することで、負債感のない自由な関係を生み出す仕組みを提案します。

贈与を贈与者と受贈者のあいだの二者関係に閉じず、常に新しい意味づけに開かれたものとすることで、束縛を生まない新しい「贈与経済」の可能性を示したいと思います。

近代他以前、人々が互いに贈与しあう中で「経済」が回る社会が、世界各地にありました。それは、人々を関係の中に束縛する側面を強く持っていましたが、本書ではそうした不自由のない新しい贈与経済のあり方を示します。

それは、いわば「贈与経済2.0」というべきもので、現代の「お金」を媒介にした資本主義経済を補完する機能を果たすことを提示できればと思います。

本書の見通し

そのために本書では現代の私たちが生活の土台としている資本主義経済の構造を明らかにするところからはじめたいと思います。

「贈与経済2.0」を提案する背景には、これまで筆者が行ってきた近代社会の構造の分析があるのですが、その前提となるところを共有するところからはじめさせていただければと思います。

第1章と第2章の内容は『資本主義に出口はあるか』(講談社新書、2019)という本で書かれたものが基礎になっているのですが、先の本ではロックとルソーの2つの社会契約論を軸に近代社会を分析し、それをもとに「新しい社会」のあり方を提示しました。

しかし、前の本では構造分析の点では好評をいただけたものの、肝心の「新しい社会」の内実については抽象的なものに留まっていて「やっぱり資本主義に出口はないのですね」と言われることの方が多かったのでした。

本書は、その後の研究と実践の上に「新しい社会」の具体像を提案するものになっています。

もちろん、この本だけで内容は完結しているので以前の本を参照いただく必要はないのですが、どのような流れで「新しい経済」が求められるのかを新しい読者の方々と共有するために、第1章と第2章で簡潔に近代社会の歴史的構造を共有させてもらえればと思います。それゆえ、すでに拙著を読まれている読者で急がれる方はすぐに第3章に進まれてもよいかもしれません。

いずれにせよ第1章では、資本主義経済の構造について歴史を遡って明らかにしていきたいと思います。アダム・スミスの「道徳哲学」が、現代の私たちにとって非常に馴染み深い資本主義経済の「道徳」の機能の原型になっていることを確認しつつ、「自由」や「平等」といった近代社会において基本的な概念がその思想をもとに実現していることを見ます。

「自由」「平等」という概念は、現代の私たちの社会において、同じ言葉で複数の意味を持つものとして用いられていますが、おそらくはもっとも馴染み深い「自由」と「平等」の考え方がロックの思想を引き継いで展開されたアダム・スミスの道徳論をベースに社会実装されてきたことを確認できればと思います。

第2章では、近現代の歴史の中で資本主義経済を乗り越えようとする様々なオルタナティブ運動がなぜ「失敗」を繰り返してきたか、その根本的な原因を明らかにします。

「個人の自由」を基礎に発展してきた資本主義経済が格差と分断を生み出す中で、みなで同じ理念を共有できる理想的な「新しい社会」を作ろうとする試みがこれまで繰り返しなされてきました。運動の当事者たちの精力的な活動と真摯な努力にもかかわらず、結果として繰り返し全体主義へと陥ってきた悪夢の歴史をルソーの社会契約論にまで遡りながら確認したいと思います。

資本主義経済を乗り越えようとするオルタナティブ運動は、そうしてマルクス主義とファシズムへと結実し人々の命をなぎ倒す嵐となりました。しかし、第2次世界大戦の後に一転して、ルソーの思想は「戦後民主主義」のシステムの中に統合されます。その統合の結果、高度経済成長や戦後国際秩序の仕組みが生み出されました。

資本主義を乗り越えようとするオルタナティブ運動が、資本主義経済の中に取り込まれたのです。その内実を明らかにしながら、神話化されがちな「戦後民主主義」の本質的な構造を明らかにしたいと思います。

そうすることで、私たちがこれまで享受してきた「戦後民主主義」を支える
構造がすでに崩壊していること、そして資本主義経済の「発展」が限界に達していることを確認できるかと思います。

第3章では、行き詰まった現代の社会の未来を切り開くために、これまでもしばしば提案されてきた贈与経済が、そのままでは大きな問題をもつことを確認します。

マルセル・モースの『贈与論』を基礎に、近代以前の「未開社会」において実践されてきた贈与経済に資本主義経済の問題を解決する糸口を探る試みがなされています。

贈与経済のロジックは実際、単に「未開社会」の人々の感性(あるいは迷信的な考え方)に基づくものではなく、現代の私たちにとっても実は馴染み深いものですが、それゆえに私たちがよく知っている問題を発生させるものになっています。贈与は人と人とを結びつける働きをするものの、同時に強固な束縛を生み出すものとしても機能するのでした。

本書では、従来の贈与論の基礎になっている「負債感」の概念を見直すことで、贈与が束縛として機能する原因を特定し、それを回避する道筋を理論的に示します。

第4章では、第3章で明らかになった理論的な可能性を、ブロックチェーン技術を用いて社会実装する方法が示されます。「贈与経済2.0」と名付けられる新しい経済の仕組みを詳しく説明すると同時に、それがどうやって従来の贈与経済の問題を回避するのかを明らかにします。

他者に贈与することの社会的なインセンティブを新しく設定する贈与経済2.0は、資本主義経済のオルタナティブとして示されますが、資本主義経済を否定するものではありません。これまで繰り返されてきたオルタナティブの試みは、理想的な社会を作るために同じ理念を共有することを人々に強く求めるものでしたが、贈与経済2.0はそうではありません。個々人がそれにメリットを感じる限りで参加するものとして位置づけられます。

贈与経済2.0は他者の労働の成果物を社会的に分配する方法として資本主義経済とは別なかたちのインセンティブを提案するものなので、「いまの社会システムを変えよう」などと同じ理念を共有することを求めるものではないのでした。資本主義経済と並行しながら、お金を稼がなければ生きていけないという現行の社会に別な選択肢を示すことが目指されます。

こうした贈与経済2.0を社会実装するためのプロジェクトはすでに動き出しているのですが、第5章では、いま進められているプロジェクトの進行状況、実際に社会実装に至るまでのロードマップを確認したいと思います。

贈与経済2.0を実現するためには、多くの人々の協力が不可欠ですが、現状すでに「贈与」によってそれらの作業が賄われている状況があります。いわば、贈与経済2.0を社会実装するための贈与経済2.0が走り出していて、非常
に多くの方々の力を得ているのでした。

2023年4月からはトヨタ財団からの助成金を得て、2024年4月から東京・高円寺と石川・白峰、2地域での贈与経済2.0の実証実験を行うことになっています。そうした取り組みを通じて、贈与経済2.0を「グローバル化」する具体的な道筋が描かれます。

第6章では、贈与経済2.0がグローバル化する中で人々が求められる「社会」のあり方を描きます。資本主義経済が近代社会のあり方と密接に結びついていたように、人々の関係を規定する経済の仕組みが変われば、その経済の上に人々は新しい社会のあり方を求めるようになるでしょう。

資本主義経済と近代国家の関係をあらためて歴史的に見直しながら、贈与経済2.0が内在的に求める「民主主義」のあり方を示します。

今日議論されている熟議民主主義の試みの「失敗」を参照しながら、異なる価値観をもつ人々がともに未来を切り開いていく方法が示されることになります。

近代社会全体を問い直す作業はもとより筆者の手に負えるものではありません。贈与経済2.0の仕組みも含めて、様々な立場からの議論が必要だと思います。本書がそうした未来に向けた議論の糸口になることができれば、それ以上のことはありません。

ぜひ皆さまからご批判を賜れればと思います。拙い論述ではありますが、何卒よろしくお願いできれば幸いです。

◆本書の目次
はじめに
第1章 なぜお金を稼がないと生きていけないのか
――資本主義経済の構造を探る
第2章 理想の社会を作ろうとする試みはなぜ失敗し続けるのか
――もうひとつの「近代社会」と戦後秩序
第3章 贈与経済はなぜそのままでオルタナティブになりえないのか
――贈与経済論の再構築
第4章 これからの社会はどうあるべきか
――他者との自由な関係に基づく「新しい経済」
第5章 いま、何をすればいいのか
――「贈与経済2.0」の作り方
第6章 未来の社会はどのようになるのか
――「近代社会」を超えて

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