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ほぼ北欧旅行記<アムステルダム篇>「新しい何か」のない街での「新しい発見」

アムステルダム、コペンハーゲン、オスロ、ヘルシンキと周る「ほぼ北欧旅行」の最初の目的地は、オランダの首都アムステルダム。

街中を網の目状に運河が流れ、水と地面の高さがとても近い。生活の風景は常に運河とともにあり、いつも水の流れを眺めているせいか、この街の人々はとてもユルい。カッコつけようともしないし、何かに追い立てられることもなく、自分たちのペースで淡々と生活している。

他人にどう見られるか。自分をどうプレゼンテーションするか。そんなことを考えている人はあまりいないのかもしれない。もちろん新しいカフェやショップもあるにはあるけれど、数も少ないし、「これがクールだ」というよりは「ただ自分がそういうものが好きだから」という気分でやっているのだろう。ファッションにも基本的に興味なさそうだし、世界トップレベルの自転車都市なのにみんなボロボロのママチャリに乗っている。

運河沿いのカフェのテラス席では、朝から晩まで人々がコーヒーやビールを飲みながらお喋りをしている。この街の生活の中心は、何はともあれ「テラスでビール」なのだ。NYで1ブロックに1個スタバのマークがあるのと同じように、アムステルダムでは1ブロックに1個ハイネケンのマーク(お酒が飲める場所ですよというサイン)がある。

それだけ人々がコーヒーやビールを飲む街なのだから上質なコーヒーやクラフトビールが流行っているかと思いきや、自分たちのペースや価値観の中で生きるアムス人たちには「トレンド」という言葉は基本的には必要ないらしく、普通のコーヒーと普通のビールで満足しているように見える。彼らが幸せに生きていく上で、それ以上のものを必要としていないのだろう。

アムステルダムの空気を正しく味わうためのポイントは、何もしないことだと思う。観光地やトレンドスポットを巡る必要はなく、運河沿いをぶらぶらと歩き、お気に入りのカフェを見つけたらコーヒーを飲み、ビールを飲む。ただ、それだけ。

アムス人は、国籍も、LGBTも、マリファナも、風俗も、アートも、過去の水害の記憶も、すべてを受け入れる寛容さがありながらも、NYのように「自分たちは自由という権利を持っている!」と主張することもない。ただシンプルに、「自分がいいと思う生き方をすればいいじゃない」といった雰囲気がある(滞在最終日はちょうど年に一度の、街をあげてのLGBT運河大パレードだった)。

アムステルダムという街には、東京やNYやロンドンなどの先端都市で生活する人々にとって「新しい何か」があるわけではない。しかし、だからこそ、そこには「新しい発見」があるのかもしれない。それは、「何のために自分たちは新しいものを求め続けるのか」という、極めてシンプルな疑問でもあった。

そんな疑問に対する答えのヒントを探して、世界一国民の幸福度が高い国デンマークの首都であり、近年は世界のフードシーンに影響を与える都市として知られる街コペンハーゲンへ向かった(続く)。



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