36歳の体調

今にも雨が降り出しそうな曇り空の日曜日、36歳の誕生日を迎えています。

どんな気分かを率直に表現するならば、体調が良くない、です。

それに対して特段ネガティブな印象はなく、「ああ、自分らしいな」というシンプルな感情が一瞬生まれて、すぐ泡のように消えていきました。

矛盾するように聞こえるかもしれませんが、ここ数年で変わったことと言えば、健康に対する向き合い方であり、自分自身の体との付き合い方は、年々確実に上手くなってきているという実感もあります。

もともと体力的にはタフなタイプだったのですが、創業期の精神的な負荷で自律神経失調となり、免疫力低下が原因で、酷いときは隔月くらいで、抗生物質という相棒とともに40度超えの熱と格闘するという生活を続けていました。それから5年くらい掛けて、自分自身の体(正確に言えば心)との付き合い方を試行錯誤してきました。

特にこの一年間は、より大きな意味があったように思います。今からちょうど一年前、No.という場所を立ち上げ、倒産寸前状態での資金繰りに追われ、これまで自分が大切にしてきた色々なことを失う経験をしたり、今年に入ってのコロナショックという追い打ちにより再び倒産危機に陥り、リハビリ中にもう一度骨折するような、心身ともに叩きのめされる経験をしてきました。

発狂しそうな精神状態で、アルコールを飲まないと眠れない(酷いときはアルコールを飲んでも朝型まで眠れない)夜を繰り返す中、結果的にそこから自分を救い出してくれたのは、自分の一番近い距離にいる人たちではなく、少しだけ離れた距離にいる人々の「手」でした。

理想主義と完璧主義と民主主義が三権分立で拮抗し続けているような性格の自分は、みずからの弱さをさらけ出して他者に救いを求めるということの意味と、しっかりと向き合うことなく35年という月日を生きてきたのだという事実に気付かされました。スマートな生き方なんて本当は不得意だとわかっているのに、すぐそう見せようとしてしまう性と憧れの気持ちに嫌気が指し、そこからの脱却を意識したのは、ここ数ヶ月の出来事かもしれません。

いつも理想を更新し続けようとすることは、暗闇の中を足元を確かめず全力疾走するようなもので必ず顔面から転倒するし、未知の問いに対して一人の人間が出来ることなんてたかが知れています。だから妙なプライドを捨てて、生傷絶えない状態を受け入れること、そして多くの仲間に自分の弱さをさらけ出して救いを求めること。これから数年を掛けて、自分自信をそうした思考に馴染ませていこうと思っています。

だから、30代のあいだに、自分が無理をしすぎて体調崩したりすることと、逆に手放しすぎて後悔の念に苛まれることとを、行ったり来たりしながら、ほどよいバランスを探っていきたいと思います。実現したいことウェイティングリストは、死のはるかその先まで、続いているから。

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