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部分最適の功罪

部分最適で一生懸命行動して高いクオリティを出しても、人々が幸せになるとは限らない。あるいは部分最適で人を幸せにしても、社会全体としては逆に害になることさえある。

大切なのは、社会全体にとって自分のアクションの意義は何かという大局的視点を常に持ちながら、部分や局所においても一生懸命向き合うことで質の高い成果を発揮していくということ。

根性論的な日本の慣習と、ビジョンと論理で行動するアメリカ人の違い。ものごとをどういうスケールで捉えるかというのはその国の文化にも依存する。例えば利休の茶室とハリウッド映画の違いであり、俳句とアメリカ現代文学の違いであったりする。

しかし裏を返せば、部分最適の才能において日本人は世界的に高い水準であると思う。つまり「日本人がビジョナリーになったら最強なのではないか」という仮説。

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