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誠実さと丁寧さについて-暇空茜&町山智浩対談の感想

Honesty is such a lonely word
Everyone is so untrue
Honesty is hardly ever heard
And mostly what I need from you

Billy Joel「Honesty」

暇空氏と町山氏の対談を見た。

誠実さとは何か

4時間以上に渡る動画の内容はここでは詳しくは語らない。だが、話を聞きながら考えていたことを書いてみようと思う。

最近、ローカルな批評界隈で誠実というキーワードが流行ってる。誠実さは大事だ。とはいえ、誠実さとなんなのだろう。辞書にはこうある。

嘘いつわりがなく、心の底から思って事に当たるさま。実直でまじめなさま。または、その度合い。

https://www.weblio.jp/content/%E8%AA%A0%E5%AE%9F%E3%81%95

私は対談の間ずっとこの誠実さについて考えていた。

暇空氏と町山氏の対談は、非常に対照的だった。攻撃的な暇空氏に対して、語気を荒げることない町山氏。世間一般的には、たぶん、誠実な態度とは町山氏のことを指すのだろう。感想の中にも、暇空氏の態度に対して、失礼だと言う人が多くいた。私もその意見に対しては概ね同意する。とはいえ、私の目には、暇空氏は彼なりの「誠実さ」で、何度か町山氏に対して対話を呼びかけていたように見えた。だが、それはやはり叶わなかった。そんな対談だったように思える。

オタクはわかりあえるのか

この対談のメインのテーマは、暇空氏が町山氏に対して、「人を助けた経験」について語るというものだった。なので、そこでは、「人を助ける」とはどういうことかについて多くの時間論じられていた。

だが、途中逸れた話の中で、イラストレーターのあきまん氏について「敬愛する」とTwitterで発言した町山氏をどれぐらいの知識を持っているのかを問いただす場面があった。あそこでは、多くの人は何故そこに拘るのかと疑問を持ったはずだ。ツイートで、暇空氏の名前を出して、あきまん氏に対して揶揄した町山氏に対しての怒り。もちろんそれもあっただろう。だが、彼は何故そこまで怒ったのか?町山氏にはそこがわからない様子だった。

ただ、あの場面は、私には、暇空氏にとっては、全く思想の異なる相手である町山氏に対して、連帯を呼びかけているように見えた。オタクが持つジャンルを超えた作品や作者への愛。そして、その愛するものを他人に軽々しく論じられたくないという嫉妬にも似た感情。それだけはオタクとして理解し合えるはずだという叫び。

その後の温泉むすめの話になった際も、暇空氏は、作品を壊されたくない気持ちは、町山氏と同じなのだと強く訴えていた。あれはわたしにはパフォーマンスのようには見えなかった。暇空氏は、町山氏に対して「オタクとしては」分かり合えるはずだと言いたかったのだと思う。

ただ、町山氏は、それらの呼びかけに応えることはなかった。町山氏の主張は、暇空氏は、女性支援をする団体や都庁を困らせたいという動機によって行動しているのだということで、二人の主張の溝はあまり埋まることはなかった。

誠実さと丁寧さの違い

さて、誠実さについて話を戻そう。同じような概念だが、誠実さと丁寧さは違うと思う。

私には、町山氏は確かに言葉遣いなどは、「丁寧」ではあったが、暇空氏の話の意図を理解しようとはしていないように見えた。

それは私の中では「誠実さ」に欠けるように思えた。

ただ、それは暇空氏の言動における「丁寧さ」が欠けていたせいだったとも言えるだろう。とはいえ、暇空氏は少なくとも彼なりの「誠実さ」で町山氏とは連帯ができると呼びかけていたように思えた。

まとめると、オタクにとっての誠実さとは、丁寧な言動や知識や教養といったものではなく、何かを本当に好きだという愛からくるのだと思う。だから、誰かの行動を決して、敵意や悪意から来るものだと決めつけてはいけないし、誰かにとっての大事なものを大切にしよう、理解しようという気持ちこそが誠実さにつながるのではないか。

最後に、カンパしている人たちを馬鹿にされたと怒る暇空氏に向けて、町山氏が言った「怒っているポーズでしょ」という発言は、全く誠実なものではなかったと、言い添えて本論を終える。

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