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シン・声幽ネットワーク論:ll ■親と子の鎮魂の物語-庵野秀明,安野モヨコ,宇多田ヒカル-さようなら、すべてのエヴァンゲリオン批評

光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。(ヨハネの福音書) シン・エヴァンゲリオンについての感想は主にふたつだ。天国だったと賞賛するもの。あるいは、その仮初の天国に異議を唱えるもの。 庵野秀明は、果たして救世主だったのか、はたは

    • 【読書感想】みんなが少しづつ「魔女」を殺した-フェルナンダ・メルチョール『ハリケーンの季節』

      読書会で『ハリケーンの季節』を読んだ.結構個人的には好きな作品だった.以下感想. とある村で<魔女>が死んだ. なぜその魔女が死んだのか.5人の視点から語られる断片的な事実から徐々にその輪郭が浮かびあがってくるという手法は,ミステリのようでもあり,自分自身が警察官やジャーナリストで聞き取りをしているかのようだ. はじめに目を引くのは文体だ.この小説にはほとんど段落というものがない. 読書会の中でもこの文体については,議論があった.座談会の書き起こしを経験したことがある

      • 誠実さと丁寧さについて-暇空茜&町山智浩対談の感想

        暇空氏と町山氏の対談を見た。 誠実さとは何か4時間以上に渡る動画の内容はここでは詳しくは語らない。だが、話を聞きながら考えていたことを書いてみようと思う。 最近、ローカルな批評界隈で誠実というキーワードが流行ってる。誠実さは大事だ。とはいえ、誠実さとなんなのだろう。辞書にはこうある。 私は対談の間ずっとこの誠実さについて考えていた。 暇空氏と町山氏の対談は、非常に対照的だった。攻撃的な暇空氏に対して、語気を荒げることない町山氏。世間一般的には、たぶん、誠実な態度とは町

        • 声優とはオノマトペである-アニメ記号接地問題について考える②

          前回↑ 言語の恣意性-ソシュールさて、声優とはオノマトペであるとは、どういうことだろうか。 そのことを考えるにあたって、まず一人の言語学者を召喚したい。 現代言語学の父、フェルディナン・ド・ソシュールである。 ここで、論じたいのは、「言語の恣意性」の問題である。 恣意性とは、arbitraire の訳語である。別の言い方をするとすると、任意性、勝手な、気まぐれなという意味を持つ。言語学の中では、言語記号の音声面とそれが指示する意味面との結びつきは必然的なものではな

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        シン・声幽ネットワーク論:ll ■親と子の鎮魂の物語-庵野秀明,安野モヨコ,宇多田ヒカル-さようなら、すべてのエヴァンゲリオン批評

        • 【読書感想】みんなが少しづつ「魔女」を殺した-フェルナンダ・メルチョール『ハリケーンの季節』

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        • 声優とはオノマトペである-アニメ記号接地問題について考える②

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          声優とはオノマトペである-アニメ記号接地問題について考える

          なぜ、私たちは、絵=記号にしか過ぎないアニメのキャラクターを愛することができるのか。 ここで、いきなり「私たち」というのは、少し性急過ぎたかもしれない。 何故ならば虚構内の存在であるキャラクターのことを愛してしまう人とそうではない人がいるからだ。わたしは、そのように虚構の存在ですらも愛してしまう「わたしたち」のことを、「オタク」と呼称しよう。 ここでは、オタクとそうではない人の差異を問題としない。だが、おそらくはその違いが果たしてどこからやってくるのか?というものについ

          声優とはオノマトペである-アニメ記号接地問題について考える

          村上春樹の『街とその不確かな壁』は、「シンエヴァ」である-「ぼく」と「私」をめぐる冒険

          ※加筆修正 2023/06/07 今回、村上春樹の新作である『街とその不確かな壁』を読んで、友人の読書会に参加したときに話した陰謀論とそのあと考えたことを書いておく。 読書会の中で私は、この小説は、庵野秀明の「シンエヴァ」と構造的に似ていると語った。どういうことか。 大きく二つの点でそう言える。 まず一つに、運命的な「きみ」のことが忘れられない中年男性が、自閉症的な子どもによって、救われる話であるということである。つまり、「私」は碇ゲンドウであり、「M**くん」が、シ

          村上春樹の『街とその不確かな壁』は、「シンエヴァ」である-「ぼく」と「私」をめぐる冒険

          [小説]失われたデコトラを求めて

          高速道路を車で走っていると、いまでも時々、デコトラに出くわすことがある。アンドンがたくさんついてるその姿を見ると、私は子ども時代に出会ったあるおっちゃんのことをいつも思い出す。 私がそのおっちゃんに出会ったのは、小学校5年の春休みだった。 その頃の私たちの遊び場といえば、近所の神社にある公園だった。そこには、ちょうど石の柱が二つゴールポストのように立っていて、そこをゴールに見立ててサッカーをすることが常だった。罰当たりな話ではあるが、今でも私たちが蹴ったボールの跡が残って

          [小説]失われたデコトラを求めて

          東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』読解-郵便、電話、不気味なもの

          こんなツイートが流れてきたので、前に書いていた『クォンタム・ファミリーズ』論を書き直してみた。 これは、先日書き直した、「萌えは愛の上位概念とは何か?」と関連しているので、面白ければそちらも読んで欲しい。 アクロバティックな「私小説」『クォンタム・ファミリーズ』は、東浩紀によるSF小説である。小説としては、その前にも桜坂洋との合作の『キャラクターズ』があるが、その初の単著で彼は三島由紀夫賞を受賞した。 その受賞時のコメントでは彼はこの小説のことを「現代的なネット(ゲーム

          東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』読解-郵便、電話、不気味なもの

          萌えは愛の上位概念(©︎東浩紀)とはなにか-あるいは確定記述と固有名と愛の関係⑥

          萌え要素と萌えの違いさあ、そろそろこの文章もまとめにかかろう。 改めてこの文章の目的は、2つだ。 1. 萌えは愛の上位概念という言葉はどういう意味なのか? 2. 東浩紀の内なるカントによって、東浩紀を再解釈させること この目的を果たすために、もちろん、最後に召喚するのは、批評界のアルファにしてオメガ。東浩紀である。改めて、東のテクストと宇野の解説について吟味してみよう。 東浩紀は、この文章の中で、「私」の中には複数のモジュール、神がいると論じている。さらに、「萌え」で

          萌えは愛の上位概念(©︎東浩紀)とはなにか-あるいは確定記述と固有名と愛の関係⑥

          萌えは愛の上位概念(©︎東浩紀)とはなにか-あるいは確定記述と固有名と愛の関係⑤

          ゼロ年代の幽霊進捗としては、ようやく8割といったところだろうか。とはいえ、駆け足ではあるが当初の2つの目的はある程度達成出来たと個人的には思っている。 まとめに入る前に、ここでは副題にもある確定記述と固有名について考えてみる。 ここで新たに呼び出されるのは、批評界のアルテマウェポンこと村上裕一である。 東浩紀が企画していたゼロアカ道場優勝者である彼のデビュー作『ゴーストの条件』は、まさしく東浩紀の『存在論的、郵便的』で、展開されたクリプキ由来の固有名と確定記述論をさらに

          萌えは愛の上位概念(©︎東浩紀)とはなにか-あるいは確定記述と固有名と愛の関係⑤

          萌えは愛の上位概念(©︎東浩紀)とはなにか-あるいは確定記述と固有名と愛の関係④

          カントのモノ自体からデータベース消費を考える③では、萌えと推しの違いを考えながら、最終的には、モエ自体という概念を生み出した。 このモエ自体は、前述したように、モノ自体から由来するので、そろそろカント大先生を召喚しなくてはいけないが、どうやら私のMPでは難しいようだ。だから少し別の人を召喚して手助けをしてもらうことにする。 それが、現代思想界のギルガメッシュこと千葉雅也である。 千葉雅也は、博士論文を元にした『動きすぎてはいけない』で、デビューした哲学者である。その本は

          萌えは愛の上位概念(©︎東浩紀)とはなにか-あるいは確定記述と固有名と愛の関係④

          萌えは愛の上位概念(©︎東浩紀)とはなにか-あるいは確定記述と固有名と愛の関係③

          推しとは何か、萌えとはどう違うか?前回は、東浩紀の萌えと愛について、批評界のイフリートこと宇野常寛(このフレーズが気に入っている)の力を借りて整理してみた。 改めて記載しておこう。 萌え=複数的=確定記述 愛=単数的=固有名 ここから、①で私が語った萌えは愛に先立つものであるという解釈にはまだ隔たりがある。 そこで、この③では少し回り道をして、萌えの近似概念である「推し」について考えてみることで、さらに萌えとは何かを深く考えてみることにしよう。 では、ここで新たな

          萌えは愛の上位概念(©︎東浩紀)とはなにか-あるいは確定記述と固有名と愛の関係③

          萌えは愛の上位概念(©︎東浩紀)とはなにか-あるいは確定記述と固有名と愛の関係②

          萌えは愛の上位概念(©︎東浩紀)とはなにか-あるいは確定記述と固有名と愛の関係①|小林勝平|note 最強の東浩紀読者の宇野常寛による東浩紀読解を読む さて、本題に入ろう。 といったところで、①にも書いたが、構成も何も考えてはいないし、基本的に引用以外は、iPhoneのフリック入力と記憶力で書く文章だから、何から始めればいいのかすら考えていない。 ただ、私の頭の中では、全て出来上がっているので、私の内なる東浩紀の声に耳を傾けながら書いていこう。 まずは、やはり萌えにつ

          萌えは愛の上位概念(©︎東浩紀)とはなにか-あるいは確定記述と固有名と愛の関係②

          萌えは愛の上位概念(©︎東浩紀)とはなにか-あるいは確定記述と固有名と愛の関係①

          萌えは愛の上位概念という謎詳しい初出は私もわからないが、思想家の東浩紀は10年以上前に「萌えは愛の上位概念」という謎めいたワードを語っていた。 わたしは、自分が発起人でもある東浩紀同人誌『はじめてのあずまん』の本人インタビューの中で語られた時に知ったこのワードを10年以上考え続けている偏執的な読者である。少なくとも、このワードについては、世界の誰よりも深く考えてきたと自負をしている変人である。 だから、わたしなりにこの謎めいたワードとはなんだったのか?を改めて記述してみた

          萌えは愛の上位概念(©︎東浩紀)とはなにか-あるいは確定記述と固有名と愛の関係①

          【感想】すずめの戸締まり-Google的想像力からガジェット的想像力へ

          昨日、すずめの戸締まり見てきたので、とりあえずの感想を書く。 点数で言えば、70点。良くも悪くも、新海誠の細部への無頓着さが目立った作品だったと思う。個人的には前作の『天気の子』の方が評価は高い。 まず、メインテーマとして、震災の問題を直接扱うことに関しては賛否両論あるが、私としては良かったと思う。『君の名は』で、隕石の衝突を描き、『天気の子』で、東京を海に沈めた新海誠が次に描くとすれば、このテーマしかなかっただろうと思う。 とはいえ、さすがに「福島の寄り道」のシーンな

          【感想】すずめの戸締まり-Google的想像力からガジェット的想像力へ

          お詫び、批評について考えること、そして、お願い-批評を愛する1人としての手紙

          まず、今回の批評界隈にかかわる騒動に関して、非常に不快な思いをさせてしまった方々に対して大変申し訳ございませんでした。多くの人の心情を害してしまったことを深くお詫びします。 下記は弁明として、批評を愛する一人の人間として私が何を考え、行動したのかを記します。そして、最後にお願いがあります。 批評を愛する一人の人間として考えること私は、いわゆる批評というもので、人生を変えられたと思っている。 具体的には東浩紀さんに出会い、はじあずという同人誌をつくった。そこから、関西クラ

          お詫び、批評について考えること、そして、お願い-批評を愛する1人としての手紙